『親業』という視点~私と息子、そして私と父~
『親業』(トマス・ゴードン著 大和書房)という本があります。
<親業>とはつまり、子育てのことである。それをあえて親業としたのは、従来の子育てのなかでは、「子供がいかに育つか」と、子供のほうにばかり重点が置かれていたのに対し、本書では、「子供が育つ上で親がいかに関わるか」という親の側に焦点を当てて子育てを見直すところに、一つの大きな特徴があるからである。(「訳者まえがきより」)
幼少時は父親との関係に悩み、現在は成長した息子との新たな関係性を模索するまーさんですが、特に今は、息子との関わりについて悩むことが多く、何らかの指針が欲しいと思い、藁にも縋る思い(は大袈裟ですが・・笑)で、本書を手に取った次第です。
以下はfacebookその他に挙げた、本書の感想です。
**************************************
「誰でも親になれる。でも『よい親』になるのは難しい」全くその通りであって、世の親たちは子の年齢を問わず、彼らとの適切な関係性を常に模索し、試行錯誤を繰り返し、大小様々な悩みに日々翻弄されている。かくいう私もその一人であって、本書を手に取ったのも、そのような自らの「親子関係の行き詰まりの打開」あるいは「家族関係の再構築」を意図し、何らかの参考にしたいという思いからである。筆者は言う。「何百万という新しい父親や母親が生まれ、人間の仕事のなかでもいちばんむずかしい仕事につく――ほとんどなにも自分でできない小さな人間の肉体的、精神的健康に全責任を負い、生産的、協調的で、なにか貢献のできる社会人に育てあげるという親業に。これほど困難で、能力や努力を必要とする仕事がほかにあるだろうか。しかしそのための特別な訓練を受けた親が何人いるだろう」深く頷くしかない言葉である。そして従来の「親子間における勝ち負け指向性」に代わる第三の法として「勝負なし法」(親子が互いを人間として尊重しつつ問題点の落としどころを徹底的な対話によって決着する)を提案する。この方法の優れた点は、「実は親も完璧ではなく、子と同様さまざまな欲求を持った一人の人間であることを子ども自身に理解させられる」そして「権利と義務は表裏一体であり、人間はどのような場面においても対話によって豊かな協調関係を築いていかねばならないと、親子共々学ぶことができる」ことにあろう。本書は、我々が言葉を持つ唯一の動物としてどう生きるべきかを示唆する、非常に優れた本であると考える。『親業』と銘打ってはいるが、教育関係者、各種カウンセラー、何らかの指導者、そして大人に近づいた子ども自身にも読んでもらいたい本である。
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ここには書きませんでしたが、筆者は親から子への物事の伝え方として「わたしメッセージ」(私はあなたの言動によってこのように困っている、辛い、不公平感を持っている、だから改善したい)を使用するべきと述べています。世の親は、ともすると世間の常識や固定観念、自分の理想等によって子供をコントロールしようとし「あなたメッセージ」(あなたはこうするべきだ、あなたはだめだ、親の言うことを聞いていれば間違いない)を送り続けます。そこを改善し、親も感情を持った一人の人間として、子供に対し率直な「わたしメッセージ」を送りなさい、同時に子供の「わたしメッセージ」にもジャッジ抜きで耳を傾けなさい、そこから本当の対話が始まり、よりよい親子関係が築かれるというのです。
この「わたしメッセージ」という考え方、まーさんはとても気に入りました。
そして息子に対し、さっそく使ってみました。
結果は・・・非常に良かったと思います。
まーさんは、普段から家庭の中で問題となっている大小様々な問題について、「わたしメッセージ」を使い息子に伝えました。同時に息子のほうからも「わたしメッセージ」を使い、日常の不満を全て挙げてもらいました。
その上で、問題点一つ一つについて話し合い、時間はかかりましたがそれぞれについて、親子とも納得のいく解決法を導き出すことが出来ました。
特に驚いたのは、解決が非常に困難と思えた息子の問題について、彼自身がエゴに走らず全員の合意を得られる提案をしたこと、また息子にとって現在最も重荷になっている問題について、親子ともが本音をぶつけ合い、その結果当初は予想もしなかった結論(彼の人生を変えるような重大な決定)が導き出されたこと、です。
この「勝負なし法」による話し合いは、当然のことながら非常に時間がかかります。そのため、ワタクシ達家族も対話の途中かなり疲弊し、そのせいでけんか腰になるという場面も多々ありました。また難しい問題については一日で決着がつかず、翌日に持ち越しという事態もありました。
しかし、時間はかかりますが、今までにないすっきり感(親子で勝敗を争うのでない、全員の合意が得られる爽快感)が胸中を駆け抜けたのは確かです。
また一つ、読書という未知の世界への旅を通して新たな道が開かれた、そんな思いを持ったここ数日間の出来事でした。
ところで。
先週の金曜日。
まーさんは所用のついでに、我が父がひとりで暮らす実家に顔を出しました。
5月の連休に帰省して以来のことです。
冒頭にも書きましたが、まーさんは幼少時から父とはそりが合わず、ごく最近まで大変厳しい親子関係が続いておりました。特に母が亡くなってからは緩衝剤となる存在の欠落により、その関係はより厳しいものとなっておりました。しかし最近ようやく父のほうにも和解のムードが見られるようになり、先日はとても和やかで楽しいひと時を過ごしてまいりました。
このところ、ワタクシ一人で実家に戻ることはなかったのですが、久しぶりに一人父を訪ねてみると、誰に気兼ねするでもなく昔懐かしいリラックスした気持ちで、ビールを飲み父の作った漬物をつまみ、彼自慢の真空管アンプでショパンの「革命」を聴き、本当に近頃忘れていた自由な解放感を心ゆくまで味わうことが出来たのでした。
母の仏壇に手を合わせると、これまた本当に母と対峙しているような、不思議な安堵感で心が満たされました。
「母親」でもなく「妻」でもなく、一人の「子ども」として実家を訪れることの言うに言われぬ楽しさ。
ああ、自分は大人ではあるが一人の「子ども」、父と母の「子ども」でもあるのだなあ、と心にしみじみ感じました。
今後はちょくちょく、一人の「子ども」として実家を訪ねようと、密かに心に決めたまーさんなのでした・・・

シソの葉の醤油漬け。父が毎年、裏庭で採れるシソの葉で作ります。
ものすごく美味しい!!お土産にもらって帰りました。
息子は大喜びで、ご飯を何杯もお代わりしておりました(笑)

同じく実家の裏庭で採れたゴーヤ。こちらもたくさん採れたので、
ということでお土産にもらってきました。
翌日”ゴーヤチャンプルー”となって夕食の一品に。
みんな「美味しい!!」と言ってあっという間に完食。

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<親業>とはつまり、子育てのことである。それをあえて親業としたのは、従来の子育てのなかでは、「子供がいかに育つか」と、子供のほうにばかり重点が置かれていたのに対し、本書では、「子供が育つ上で親がいかに関わるか」という親の側に焦点を当てて子育てを見直すところに、一つの大きな特徴があるからである。(「訳者まえがきより」)
幼少時は父親との関係に悩み、現在は成長した息子との新たな関係性を模索するまーさんですが、特に今は、息子との関わりについて悩むことが多く、何らかの指針が欲しいと思い、藁にも縋る思い(は大袈裟ですが・・笑)で、本書を手に取った次第です。
以下はfacebookその他に挙げた、本書の感想です。
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「誰でも親になれる。でも『よい親』になるのは難しい」全くその通りであって、世の親たちは子の年齢を問わず、彼らとの適切な関係性を常に模索し、試行錯誤を繰り返し、大小様々な悩みに日々翻弄されている。かくいう私もその一人であって、本書を手に取ったのも、そのような自らの「親子関係の行き詰まりの打開」あるいは「家族関係の再構築」を意図し、何らかの参考にしたいという思いからである。筆者は言う。「何百万という新しい父親や母親が生まれ、人間の仕事のなかでもいちばんむずかしい仕事につく――ほとんどなにも自分でできない小さな人間の肉体的、精神的健康に全責任を負い、生産的、協調的で、なにか貢献のできる社会人に育てあげるという親業に。これほど困難で、能力や努力を必要とする仕事がほかにあるだろうか。しかしそのための特別な訓練を受けた親が何人いるだろう」深く頷くしかない言葉である。そして従来の「親子間における勝ち負け指向性」に代わる第三の法として「勝負なし法」(親子が互いを人間として尊重しつつ問題点の落としどころを徹底的な対話によって決着する)を提案する。この方法の優れた点は、「実は親も完璧ではなく、子と同様さまざまな欲求を持った一人の人間であることを子ども自身に理解させられる」そして「権利と義務は表裏一体であり、人間はどのような場面においても対話によって豊かな協調関係を築いていかねばならないと、親子共々学ぶことができる」ことにあろう。本書は、我々が言葉を持つ唯一の動物としてどう生きるべきかを示唆する、非常に優れた本であると考える。『親業』と銘打ってはいるが、教育関係者、各種カウンセラー、何らかの指導者、そして大人に近づいた子ども自身にも読んでもらいたい本である。
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ここには書きませんでしたが、筆者は親から子への物事の伝え方として「わたしメッセージ」(私はあなたの言動によってこのように困っている、辛い、不公平感を持っている、だから改善したい)を使用するべきと述べています。世の親は、ともすると世間の常識や固定観念、自分の理想等によって子供をコントロールしようとし「あなたメッセージ」(あなたはこうするべきだ、あなたはだめだ、親の言うことを聞いていれば間違いない)を送り続けます。そこを改善し、親も感情を持った一人の人間として、子供に対し率直な「わたしメッセージ」を送りなさい、同時に子供の「わたしメッセージ」にもジャッジ抜きで耳を傾けなさい、そこから本当の対話が始まり、よりよい親子関係が築かれるというのです。
この「わたしメッセージ」という考え方、まーさんはとても気に入りました。
そして息子に対し、さっそく使ってみました。
結果は・・・非常に良かったと思います。
まーさんは、普段から家庭の中で問題となっている大小様々な問題について、「わたしメッセージ」を使い息子に伝えました。同時に息子のほうからも「わたしメッセージ」を使い、日常の不満を全て挙げてもらいました。
その上で、問題点一つ一つについて話し合い、時間はかかりましたがそれぞれについて、親子とも納得のいく解決法を導き出すことが出来ました。
特に驚いたのは、解決が非常に困難と思えた息子の問題について、彼自身がエゴに走らず全員の合意を得られる提案をしたこと、また息子にとって現在最も重荷になっている問題について、親子ともが本音をぶつけ合い、その結果当初は予想もしなかった結論(彼の人生を変えるような重大な決定)が導き出されたこと、です。
この「勝負なし法」による話し合いは、当然のことながら非常に時間がかかります。そのため、ワタクシ達家族も対話の途中かなり疲弊し、そのせいでけんか腰になるという場面も多々ありました。また難しい問題については一日で決着がつかず、翌日に持ち越しという事態もありました。
しかし、時間はかかりますが、今までにないすっきり感(親子で勝敗を争うのでない、全員の合意が得られる爽快感)が胸中を駆け抜けたのは確かです。
また一つ、読書という未知の世界への旅を通して新たな道が開かれた、そんな思いを持ったここ数日間の出来事でした。
ところで。
先週の金曜日。
まーさんは所用のついでに、我が父がひとりで暮らす実家に顔を出しました。
5月の連休に帰省して以来のことです。
冒頭にも書きましたが、まーさんは幼少時から父とはそりが合わず、ごく最近まで大変厳しい親子関係が続いておりました。特に母が亡くなってからは緩衝剤となる存在の欠落により、その関係はより厳しいものとなっておりました。しかし最近ようやく父のほうにも和解のムードが見られるようになり、先日はとても和やかで楽しいひと時を過ごしてまいりました。
このところ、ワタクシ一人で実家に戻ることはなかったのですが、久しぶりに一人父を訪ねてみると、誰に気兼ねするでもなく昔懐かしいリラックスした気持ちで、ビールを飲み父の作った漬物をつまみ、彼自慢の真空管アンプでショパンの「革命」を聴き、本当に近頃忘れていた自由な解放感を心ゆくまで味わうことが出来たのでした。
母の仏壇に手を合わせると、これまた本当に母と対峙しているような、不思議な安堵感で心が満たされました。
「母親」でもなく「妻」でもなく、一人の「子ども」として実家を訪れることの言うに言われぬ楽しさ。
ああ、自分は大人ではあるが一人の「子ども」、父と母の「子ども」でもあるのだなあ、と心にしみじみ感じました。
今後はちょくちょく、一人の「子ども」として実家を訪ねようと、密かに心に決めたまーさんなのでした・・・

シソの葉の醤油漬け。父が毎年、裏庭で採れるシソの葉で作ります。
ものすごく美味しい!!お土産にもらって帰りました。
息子は大喜びで、ご飯を何杯もお代わりしておりました(笑)

同じく実家の裏庭で採れたゴーヤ。こちらもたくさん採れたので、
ということでお土産にもらってきました。
翌日”ゴーヤチャンプルー”となって夕食の一品に。
みんな「美味しい!!」と言ってあっという間に完食。

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