『あなたへ』~人はたった一人きりで”在らしめられ”ている~
人は、偶然に物事に出会うのではありません―――
このところずっと、
漂泊の俳人・種田山頭火について、考えていました。
人間の、出会いと別れについて考えていました。
生きるとはつまりどういうことかを、考えていました。
そして昨日、
ふとひらめいて
映画『あなたへ』(監督・降旗康男、主演・高倉健)を観ました。
この中に、一つの答えがあると、感じました。
◇
映画のあらましです。
富山の刑務所で技官を務める倉島は、
亡き妻から二通の遺書を受けとります。
一通は「遺骨を故郷の海に撒いてほしい」という依頼。
もう一通は・・・なぜか妻の故郷に局留めで郵送されています。
その二通目を受け取るため、また遺書に込めた妻の真意を確かめるため、
倉島は車で長崎の平戸に向かいます。
旅の途中、彼は様々な人と出会います。
元国語教師を騙る饒舌な男。
倉島は彼から、種田山頭火の句集『草木塔』を譲り受けます。
いか飯の実演販売で全国を回る若者と、その部下の男。
二人の背後にはそれぞれ、家族をめぐる複雑な事情が存在します。
妻の故郷で食堂を経営する若い娘とその母親。
娘の婚約者とその祖父。
食堂の娘の父親は七年前漁に出て遭難し、帰らぬ人となりましたが、
そこにもまた驚くべき真実が隠されています。
局留めとなっていた遺書には一言「さようなら」の文字。
生前、散骨のことには一切触れず、
遺言もたった一言のみという妻の心を量りかね、苦悩する倉島。
そんな彼に食堂のおかみは言います。
「夫婦だからといって、相手のすべてが分からなくても良いのではないか」
その言葉に迷いを払拭した倉島は、
遺言の手紙を風に流し、妻の遺骨を海に沈めます。
物語の終わり、画面に現れた山頭火の句は、
このドラマの全てを言い表しています。
「このみちや いくたりゆきし われはけふゆく」
◇
倉島は最後に言います。
「“あなたにはあなたの時間が流れている”
そのことを妻は伝えたかったのではないか」と。
人は多くの人と出会い、縁を結びます。
すれ違うだけの浅い縁もあれば、
親子・夫婦のような深い縁もあります。
しかしいずれにしても、そのように交錯した人生はそれぞれ、
パレットの絵の具が混じり合うごとく徐々に刹那の変化を遂げ、
まるで印象派の絵画のように、
おのおのが、複雑な彩りを持つ歴史を積み上げてゆくのです。
浅い縁であっても、
その刹那に「永遠」を見る瞬間は確実に存在する。
また逆に、
深い縁だからとて、対象と完全に「同一」化できる瞬間は、
実は一切存在しない。
人は生まれてから死ぬまで、
たった一人きりで他者に“在らしめられ”つつ人生を生き切る。
そんなことを、深く静かに感じた映画でありました―――

このところずっと、
漂泊の俳人・種田山頭火について、考えていました。
人間の、出会いと別れについて考えていました。
生きるとはつまりどういうことかを、考えていました。
そして昨日、
ふとひらめいて
映画『あなたへ』(監督・降旗康男、主演・高倉健)を観ました。
この中に、一つの答えがあると、感じました。
◇
映画のあらましです。
富山の刑務所で技官を務める倉島は、
亡き妻から二通の遺書を受けとります。
一通は「遺骨を故郷の海に撒いてほしい」という依頼。
もう一通は・・・なぜか妻の故郷に局留めで郵送されています。
その二通目を受け取るため、また遺書に込めた妻の真意を確かめるため、
倉島は車で長崎の平戸に向かいます。
旅の途中、彼は様々な人と出会います。
元国語教師を騙る饒舌な男。
倉島は彼から、種田山頭火の句集『草木塔』を譲り受けます。
いか飯の実演販売で全国を回る若者と、その部下の男。
二人の背後にはそれぞれ、家族をめぐる複雑な事情が存在します。
妻の故郷で食堂を経営する若い娘とその母親。
娘の婚約者とその祖父。
食堂の娘の父親は七年前漁に出て遭難し、帰らぬ人となりましたが、
そこにもまた驚くべき真実が隠されています。
局留めとなっていた遺書には一言「さようなら」の文字。
生前、散骨のことには一切触れず、
遺言もたった一言のみという妻の心を量りかね、苦悩する倉島。
そんな彼に食堂のおかみは言います。
「夫婦だからといって、相手のすべてが分からなくても良いのではないか」
その言葉に迷いを払拭した倉島は、
遺言の手紙を風に流し、妻の遺骨を海に沈めます。
物語の終わり、画面に現れた山頭火の句は、
このドラマの全てを言い表しています。
「このみちや いくたりゆきし われはけふゆく」
◇
倉島は最後に言います。
「“あなたにはあなたの時間が流れている”
そのことを妻は伝えたかったのではないか」と。
人は多くの人と出会い、縁を結びます。
すれ違うだけの浅い縁もあれば、
親子・夫婦のような深い縁もあります。
しかしいずれにしても、そのように交錯した人生はそれぞれ、
パレットの絵の具が混じり合うごとく徐々に刹那の変化を遂げ、
まるで印象派の絵画のように、
おのおのが、複雑な彩りを持つ歴史を積み上げてゆくのです。
浅い縁であっても、
その刹那に「永遠」を見る瞬間は確実に存在する。
また逆に、
深い縁だからとて、対象と完全に「同一」化できる瞬間は、
実は一切存在しない。
人は生まれてから死ぬまで、
たった一人きりで他者に“在らしめられ”つつ人生を生き切る。
そんなことを、深く静かに感じた映画でありました―――

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