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西行忌~漂泊の歌人~

願はくは花の下にて春死なん
           そのきさらぎの望月のころ



               ◇


旧暦2月16日は、歌人・西行の忌日です。

西行といえば、まーさんは冒頭に載せた歌を思い出します。

まさにこの歌の通り、“如月(2月)の望月(15日)の頃”にこの世を去った西行――
平安時代以降、“花”と言えばそれは“桜”のことを指すのは、皆さまご存じの通りですが、西行はこの桜をこよなく愛し、桜を愛でた歌を数多く残しています。


               ◇


西行は、俗名を佐藤義清(さとうのりきよ)と言い、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて生きた武士・僧侶・歌人です。

23歳で出家する以前は、北面武士(ほくめんのぶし。院御所の北面に詰め、院中を警固した。白河上皇が創設)として、鳥羽院に仕えていました。

北面武士と聞くと、まーさんはすぐに「イケメン’s」を想像してしまいますが(笑)、実際そういう側面はあったようです。

この時代、高貴な人々の間では女色と共に男色も盛んであり、北面武士の創設者である白河院をはじめ、鳥羽院、後白河院なども女色と男色の両方をたしなんだとか。ですから、北面武士に任じられる者達は、自然イケメンが多くなったということです。

とすると、出家以前の西行・即ち佐藤義清も、当然イケメンだったという想像が成り立ちますが、真偽のほどは定かではありません(笑)ただ、2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』では、清盛の親友という設定で、元祖イケメン俳優・藤木直人が西行を演じていました(*’▽’)やはり大河の制作者も、「西行は美男であった」としたかったのではないかと思います。まあ、ここには演出上のある重要な理由が存在するというのが、本当のところかもしれませんが・・・

というのも本ドラマでは、複数存在する「西行出家の理由」のうち、”失恋説“を採用しており、西行(=佐藤義清)は、待賢門院璋子との愛憎劇が元で出家を決意したという設定になっています。このようなストーリーである以上、当然西行(=佐藤義清)はイケメンでないと、映像的には盛り上がらないと、制作する側も考えたのではないでしょうか(笑)

それはともかく、当時の武士としてのエリートコース”北面武士“を辞し、23歳の若さで全てを捨て出家した西行。その理由は先に申しました通り、「失恋説(お相手は上臈女房・待賢門院・美福門院・上西門院等、諸説あり)」「友人の急死説」色々あるのですが、出家後は鞍馬山に隠棲、その後奥羽への旅、高野山入山、四国への旅を経て伊勢国に移り、最後は河内国・弘川寺に庵居し、この地で亡くなったとのことです。享年73歳。


               ◇


出家後、心の赴くままに諸国をめぐる漂泊の旅に出て、多くの歌を残した西行。その歌風は

率直質実を旨としながら、つよい情感をてらうことなく表現するもので、季の歌はもちろんだが恋歌や雑歌に優れていた。院政前期から流行しはじめた隠逸趣味、隠棲趣味の和歌を完成させ、研ぎすまされた寂寥、閑寂の美をそこに盛ることで、中世的叙情を準備した面でも功績は大きい。また俗語や歌語ならざる語を歌の中に取り入れるなどの自由な詠み口もその特色で、当時の俗謡や小唄の影響を受けているのではないかという説もある。後鳥羽院が西行をことに好んだのは、こうした平俗にして気品すこぶる高く、閑寂にして艶っぽい歌風が、彼自身の作風と共通するゆえであったのかもしれない。
(wikipediaより)

と説明されています。


               ◇


西行の歌は「八代集」(8つの勅撰和歌集)の最後にあたる、『新古今和歌集』に数多く選出されています。

本書の歌風は、藤原俊成の唱えた「幽玄体」を基調としつつ、その息子である藤原定家が提唱した「余情妖艶体」(幽微、哀切な心の世界があやしいなまめかしさを放つまでに感覚化された美に昇華した抒情)によって鮮やかに彩られました。こうした新古今の世界を下支えしたのが、西行であると言えます〈*1〉。


               ◇


このような西行の歌、および生き方が後世に与えた影響は計り知れません。例えば、まーさんが真っ先に思い出すのは、西行の生き方に倣い、自らも旅の中に身を置こうとした江戸時代の俳人・松尾芭蕉です。

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。

舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老をむかふる物は、

日々旅にして旅を栖(すみか)とす。

古人も多く旅に死せるあり
〈*2〉

有名な『おくのほそ道』の冒頭ですが、ここでいう“古人”には、明らかに西行の姿を透かし見ることができます。


またこの他にも、西行を題材とした作品は多く残されており、
能『西行桜』、上田秋成『雨月物語「白峰」』、辻邦夫『西行花伝』、白洲正子『西行』などは、まーさんもよく知るところです。

そして、これは初めて知りましたが


・江口
落語
・西行
・西行鼓ヶ滝
長唄
・時雨西行
義太夫節
・軍兵富士見西行
文学作品
・幸田露伴『二日物語』
・瀬戸内寂聴『白道』
・火坂雅志『花月秘拳行』
・中津文彦『闇の弁慶―花の下にて春死なむ』
・夢枕獏『宿神』


などもあるようです(wikipediaより)。


               ◇


嘆けとて月やはものを思はする
            かこち顔なるわが涙かな

 

久々に思い出しましたが、
『小倉百人一首』86番の西行法師の歌です。

後鳥羽院をして「西行は、おもしろくて、しかも心も殊に深く、ありがたく、出で来がたき方も共に相兼ねて見ゆ。生得の歌人とおぼゆ。おぼろげの人、まねびなどすべき歌にあらず、不可説の上手なり」と言わしめた西行。

今日は彼を偲んで、『新古今集』『山家集』そして『雨月物語』など、思いつくままにつらつらと、その世界を漂ってみたいと思います・・・

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参考図書
*1『日本古典文学全集26 新古今和歌集』(小学館)
*2『日本古典文学全集41 松尾芭蕉集』(小学館)





漂泊の旅、、、に出たいです☆
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まーさん超訳『竹取物語』~かぐや姫帝の召しに応ぜず昇天す⑫~

とうとう『竹取物語』、最終回となりました。

明日・7月1日は「富士山開き」。
そんな日にふさわしい、今日の最終回を
どうぞ皆様、最後までお読みいただければ幸いです。




まーさん超訳『竹取物語』
~かぐや姫帝の召しに応ぜず昇天す⑫~(最終回)




その後、翁と嫗は血の涙を流し心を乱したが、結局どうすることもできない。

あの、かぐや姫が書き置きした手紙を、周りの者が読んで聞かせても、

「何をしようとて命を惜しむのか。誰のために惜しむ命があろうか。

もう何も必要ない――」

と言って、薬も飲まない。

そのまま起き上がることもなく、病み伏せっている。



中将・高野のおおくには、

翁の家に派遣されていた家来達を引き連れ内裏に帰参し、

かぐや姫を戦い留めることが出来なかった旨、帝にこまごまと奏上する。

そして、不死の薬が入った壺に、かぐや姫からの手紙を添えて帝に差し上げる。



帝はその手紙を広げてご覧になり、ひどくしみじみと御心を打たれ、

その後は何もお召し上がりにならず、管弦の御遊びなどもなさらないのだった。



帝は、大臣・上達部などをお召しになり、

「どの山が天に近いか。」

とお尋ねになる。すると、ある人が奏上する。

「駿河の国にあるという山が、この都にも近く、天にも近うございます。」

帝はこれをお聞きになって、



あふこともなみだにうかぶ我が身には死なぬ薬も何にかはせむ


≪かぐや姫に会うことももう再びないゆえに、

とめどなく流れる涙の中に浮かんでいるような我が身にとっては、

不死の薬も何になろうか、いや何の意味もないものだ――≫



帝は、かのかぐや姫が献上した不死の薬壺に手紙を添えて、

御使いの者にお渡しになる。

勅使には、調(つき)のいわがさという人をお召しになり、

駿河の国にあるという山の頂上に持ってゆくようお命じになる。

そしてその山頂にて、御手紙と不死の薬壺を並べ、

火をつけて燃やすよう仰せになる。

その旨をうけたまわり、調のいわがさは、

士(つわもの)どもを沢山引き連れて山に登った。

それゆえ、この山を

「士に富む山」つまり「富士の山」と名付けたのである。



そして、その不死の薬を焼く煙は、

今もなお、雲の中へ立ち上っていると、言い伝えられている――







                 ◇






冷徹な天女・かぐや姫は、多くの人々との関わりの中で、徐々に人間性を獲得し、わけても帝との深い心のやり取りは、彼女を「あはれ」を解する“人間”へと変化させる契機となりました。
しかし運命は非情なもの。結局かぐや姫は、抗えない定めに従い、再び故郷である月世界(天上界)へと帰って行ったのです。

一方、残された帝は、姫から献上された不死の薬を「なににかはせむ」と放棄し、天へと返却するべく富士の山(士に富む山・不死の薬を燃やした山)にて燃やさせました。
手紙にしたためられた帝の思いは、不死の薬と共に煙となって天に上ります。
この「不死の薬が結局燃やされた」という結末は非常に重要です。なぜならこれは、「帝という最高位の存在が、不死となること(=天人となる事)を放棄し、喜怒哀楽・生老病死のある人間として(=あはれを解する人間として)生きることを選択した。」というメタファーにもなっているからです。

限りある命・苦の娑婆――だからこそ人間世界は、よりいっそう愛おしく美しく、あはれに満ちている――そんなささやかな人間賛歌を、作者は時を越えて、我々に語りかけているのではないかと思う次第であります。





参考文献
*『日本古典文学全集8 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』(小学館)
*『岩波古語辞典』(大野晋 佐竹昭広 前田金五郎 編)





かつては煙立ち上る山だった富士山。
余韻に満ちた結末です・・・

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まーさん超訳『竹取物語』~かぐや姫帝の召しに応ぜず昇天す⑪~

風にあおられた霧雨が降り続いています。



昨日の午前中、小学校での読み聞かせボランティアに向かう途中、
良い香りにに誘われてふとそちらを見ると、

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クチナシの花が咲いていました。




                ◇




まーさん超訳『竹取物語』
~かぐや姫帝の召しに応ぜず昇天す⑪~




《あらすじ》
かぐや姫は、
「文を書き置きして、おいとまいたしましょう。わたくしのことが恋しく思われた時に、取り出してご覧ください。」
と言って、泣きながら書く言葉は、
「わたくしが、この国に生まれたのであれば、お二人を嘆かせ申し上げることもなく、末永くお仕えすることが出来たでしょう。この地で過ごす時がいま終わりを迎え、お二人とお別れせねばならないこと、かすがえすも不本意です。しかしどうしようもありません・・・せめて、わたくしが脱いで置いていく着物を形見としてご覧になり、心をお慰めください。月が出た夜は、月に目を向けてわたくしを思い出してください。お二人をお見捨て申し上げるようにして、ここを去って行くこと――空から落ちてしまいそうな辛い心持ちがいたします。」
かぐや姫はこのように書き置いた。

天人の一人に、持たせてある箱がある。そこには天の羽衣が入っている。また別の箱には、不死の薬が入っている。

一人の天人が言う。
「壺にある御薬をお飲みください。汚い地上の物をお召し上がりになっていたので、さぞご気分がお悪いことでしょう。」
こう言って、薬を持ってそばに寄ると、かぐや姫はそれをほんのちょっとおなめになり、そこから少しばかりの薬を形見として、脱ぎ置く着物に包もうとした。しかし、天人はこれを包ませない。そして、天の羽衣を取り出して姫に着せようとする。

その時にかぐや姫は、
「天の羽衣を着た人は、地上の人間とは心が異なってしまうと言います。その前にひとこと、言っておかねばならないことがあります。」
こう言って文を書き始める。

天人は、
「遅い。」
と言い、気がせいてならない様子である。

かぐや姫は、
「わからぬことをおっしゃるな。」
と言って、たいそう静かに、帝にお手紙をお書き申し上げる。まったく慌てぬご様子である。



「このようにたくさんの御家来をお遣わしくださり、

わたくしをお留めあそばしましたが、

それを許さぬ迎えが参り、わたくしをとらえて連れ去ってゆきますこと、

ほんとうに残念で悲しいことでございます。

お側にお仕え申し上げることなく、今まで来てしまいましたのも、

このように複雑で面倒な身ゆえの事だったのでございます。

わたくしの振る舞いは、全く理解が出来ないとお思いになられたことでしょう。

わたくしが強情に宮仕えの意をお受けしなかったことを、

『無礼な奴だ』と心に思い留めなさっているであろうことが、

ほんとうに心残りでございます。」

と言って、



今はとて天の羽衣着るをりぞ君をあはれと思ひいでける

≪今はこれまでといって天の羽衣を着る時になり、

あなた様のことをしみじみと思い出しているわたくしでございます――≫


こう詠んで、壺の中の不死の薬をそえて、

頭中将(とうのちゅうじょう。帝の側近)を呼び寄せ、帝に献上させる。

まず天人がかぐや姫の手からこれを受け取り、中将に手渡す。

中将が壺を取ったところで、天人はかぐや姫に、

さっと天の羽衣を打ち着せ申し上げる。

すると姫の心から、翁を「気の毒だ、不憫だ」と思う気持ちは、

あとかたもなく消え去ってしまった。この天の羽衣を着た人は、

物思いがいっさいなくなってしまうのである。

そしてそのまま、かぐや姫は飛ぶ車に乗り、百人ほどの天人を連れて、

月へと昇っていったのであった。




次回、最終回です。


参考文献
*『日本古典文学全集8 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』(小学館)
*『岩波古語辞典』(大野晋 佐竹昭広 前田金五郎 編)



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まーさん超訳『竹取物語』~かぐや姫帝の召しに応ぜず昇天す⑩~

猛暑日の日曜、息子と共に「東京都恩賜上野動物園」に行ってまいりました。
まーさんも息子も動物が大好きなので、めちゃくちゃ楽しかったですvv



お尻写真2連発~パンダさんと白クマさん~
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息子が大好きなペンギン^^
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あらら・・・謎のミーアキャット(@_@)
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                 ◇



まーさん超訳『竹取物語』
~かぐや姫帝の召しに応ぜず昇天す⑩~





《あらすじ》
こうしているうちに宵も過ぎ、夜中の十二時を回ったころ――急に家の周りが、昼よりも明るくなり、光に満ちた。
満月の明るさを十も合わせたほどの明るさで、そこにいる人の毛の穴まで見えるくらいである。

すると、大空から人が雲に乗って下りてきて、地面から五尺(人の背丈)ほど浮き上がったところに立ち並んだ。家の内や外にいる人々の心は、これを見て、物の怪におそわれるような気持ちになり、戦い合う心もなくなってしまった。

やっとのことで、気持ちを奮い立たせ弓矢を構えようとするが、手の力が抜け、体も萎えて力が入らず物に寄りかかってしまう。そんな中、物に動じない気丈夫が、ぐっとこらえて矢を射ようとするけれども、その矢は、全く見当はずれの方向へ飛んで行ってしまったので、もう戦い合うこともなく、人々の気持ちは、ただただ麻痺したようになって、共に月の人々をじっと見つめているのであった。

地面から五尺ほどの、雲の上に立っている人々は、その衣装の高貴で美しいことは例えようもなく、飛ぶ車を一つ伴なっている。その車には薄絹に房飾りを付けた、豪華な天蓋がさしかけてあり、
中にいる、王とおぼしき人が、家に向かって言う。
「造麿(みやつこまろ)、出て来なさい。」
すると、これまで猛々しく思っていた造麿も、何かに酔ったような気持ちになり、うつ伏しになって伏せている。

月の王が言う。
「汝、未熟な者よ。我々は、おまえが前世において僅かばかりの功徳を成したことを考慮し、おまえの助けにしようと、ほんの一時かぐや姫をこの下界に下したのだ。そして長年の間、おまえは沢山の黄金を賜り、身分も変わったように大金持ちになった。
かぐや姫は、月世界で罪をなされた身である。だから、このように賤しいおまえのもとに、しばらくの間おいでになったのだ。
いま姫は、罪障が消滅したので、我々がこうして迎えに来たのだが、おまえはそのことを泣いて嘆く。叶わぬことだ。早く姫を我々にお返しなさい。」

翁が答えて申し上げる。
「わたくし共がかぐや姫をお育てもうしあげること、二十余年になりました。それをあなた様は『ほんの一時』とおしゃいます。ですから今、疑念が生じました。
“かぐや姫”と申す人は、ここではない他の所に、もう一人別にいらっしゃるのではないでしょうか。」

「ここにおいでになるかぐや姫は、重い病に罹っているので、外に出ていらっしゃることは出来ないでしょう。」
と翁が申し上げると、その返事はなくて、建物の上に飛ぶ車を寄せて、
「さあ、かぐや姫、このような穢い所に、どうして長く留まっておいでなのですか。」
という。そうして、姫を閉じ込めていた所の戸は、即座に全てが開いてしまった。格子(こうし)も全て、人の手はなくして自然に開いてしまう。
嫗が抱いて座っていたかぐや姫は、すうっと外に出ていってしまった。留めることができそうにもないので、嫗はただそれを仰ぎ見て泣いている。

竹取の翁が心を乱して泣き伏している所に、かぐや姫が寄って来て言う。
「わたくしも、心ならずもこのように去って行くのですから、せめて、昇天するところだけでもお見送り下さい。」
姫はこう言ったが、翁は、
「何のためにお見送り申し上げるのですか、こんなに悲しいのに!私にどうせよというおつもりで、見捨てて昇天なさるのですか。一緒に連れて行って下さい!」
と、泣いて伏しているので、かぐや姫の御心はどうにもならず、乱れてしまう。





次回に続きます。




参考文献
*『日本古典文学全集8 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』(小学館)
*『岩波古語辞典』(大野晋 佐竹昭広 前田金五郎 編)





「具して率ておはせね」・・(涙)
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”怒りスイッチ”の所在

季節の変わり目だからでしょうか――
近頃、持病の片頭痛が止まらず、
「う~~」とか「あ~~」とか唸り続けている
まーさんであります・・・(辛)

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気分はこんな感じ・・・でしょうか。


さて今年度まーさんは、小学校のPTA役員を引き受け、
ジャンケンに負けて総務委員長となりました。
その経緯については、以前当ブログにも書きましたが、
先週の金曜日・土曜日、
さっそく今年度のPTA総会・第一回理事会が行われ、
まーさんは新総務委員長として
理事会にて初の司会を務めました。

会社にしてもPTAにしても、こうした「組織活動」の場合、
既存の進め方や人の思惑等、様々なしがらみの存在で
事がスムーズに運ばないことが往々にしてあります。
まーさんも今回、この理事会において、
そのことを身を持って実感いたしました。

まあ、事がスムーズに運ばないのは
「組織活動」ではよくあることですし、
今後何らかの方法で改善していけばよいことなので
それほど強い怒りの感情は湧いては来ませんでした。

ところが――

今回の理事会において、それとは別の出来事で、
まーさんは抑え難い怒りの感情を抱いてしまったのです。

日頃から「平常心」とか「明鏡止水」とか、
覚者のような言葉を胸の内で唱えている割には、
存外簡単に“怒りスイッチ”をオンしてしまった自分に、
呆れるやら情けないやら・・・

家に帰ってからもその折の出来事を反芻し、
心の中で愚痴を言い続け、
それでもおさまり切れず友達にメールをし、
翌日には夫にまで愚痴をこぼしたのでした・・・(@_@)

そして、考えました。
なぜここまで自分は怒るのか。
何が、まーさんの“怒りスイッチ”をオンしたのか。
胸に手を当てるように、じっと心の奥を覗いてみました。
すると、驚きの事実が浮かび上がってきました。

自分が心底、怒りを覚えるのはただ一つ。即ち、
「自分という存在が他者よりも一段低く見られ、
一人の人間として尊重されていないと感じた時。」
なのだと。

まあ、何ということでしょう!!!
まーさんて、こんな人間だったのですね(驚)
この年になって初めてはっきり気づきました。
逆に言うと、こんな年になるまで、
そのことに気づいていなかったという・・・汗

で、思いました。
まーさんは今、貴重な機会をいただいたなあと。
自分の“怒りスイッチ”の所在に気づけたことによって、
同時に自分の最も大切にしている価値観の一端を
確認することができたわけですから。
つまりまーさんが大切にしたい価値観とは、
「自他の差異を個性として尊重しつつ、
地球上の全ての人間がフラットな関係を築いていくこと。
そして、それによって人々が、
調和と幸福を実感していくこと。」
だったのです。

こうしたまーさんの価値観については、
これまでも当ブログで綴ってきましたし、
別の場所でも、口頭あるいは文書で語ってきました。

しかし先日、
自らの“怒りスイッチ”の所在に気づいたことで、
逆に自分の“大切にしたいこと”はその裏返しである
という事実に、改めて気づくことができたわけです。
もちろん「自分が尊重されていないことに怒りを覚える」
という、自身の全く青臭い未熟さにも
同時に気づいたわけですが・・・

ともかく。
人間、いくつになっても「そうか、そうだったのか!!!」
という発見があるものですね。
これからは、この気づきをきっかけとして、
さらに自分の価値観を行動に移せるよう心掛けると共に、
青臭い未熟な自分をも見つめ直し、
不用意に“怒りスイッチ”をオンしないよう、
改めて「平常心」「明鏡止水」を肝に銘じたい
と思う次第であります。




というわけで、
今日はふと思い出した『徒然草』(吉田兼好 著)の一節を
ご紹介いたします。




『徒然草』~第百三十段~

物に争はず、己を枉げて人に従ひ、我が身を後にして、人を先に

するにはしかず。(中略)

人に勝らん事を思はば、ただ学問して、その智を人にまさらん

と思ふべし。道を学ぶとならば、善に伐らず、輩に争ふべからずと

いふ事を知るべき故なり。大きなる職をも辞し、利をも捨つるは、

ただ学問の力なり。




≪他人と争わず、自分をおさえて他人に従い、我が身のことは後

回しにして、他人のことを先にするのに勝るものはない。(中略)

 他人より勝ろうと思うならば、ひたすらに学問をして、その知

恵を人より優れたものにしようと思うのが良い。なぜ道を学ぶの

か、といえば、善行を自慢せず、朋輩と争ってはならない、という

ことを知るべきためである。優れてりっぱな職をも辞し、大きな

利益をも捨てることができるのは、まったく学問の力によるもの

なのである。≫




人との勝負ごとに、いたずらにこだわるのは良くない。
もし人より勝ろうと思うならば、
ひたすら学問の道を行くがよい。
なぜならば、学問を究めることによってのみ、
「善行を自慢しない」「朋輩と争わない」「地位や富にこだわらない」
という、相対評価を越えた、
超越した価値観を養うことが出来るからである。
吉田兼好はこのように述べています。

繰り返しになりますが、まーさんは吉田兼好の言う通り、
「相対評価ではない超越した価値観」を養うため、
今後よりいっそうその考え方を意識しつつ、
単なる「知識のため込み」ではない「修養としての学問」を、
様々な形で修めていきたいと考える次第であります。





参考文献
*『日本古典文学全集27 方丈記 徒然草 正法眼蔵随聞記 歎異抄』(小学館)
*『岩波古語辞典』(大野晋 佐竹昭広 前田金五郎 編)






人間いくつになっても勉強、ですね・・・
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プロフィール

まーさん

Author:まーさん
息子と夫と私、考え方も行動もてんでバラバラな3人で暮らしています(笑)でも仲良しです。
音楽、映画、読書が好き。芸術鑑賞、外国語、旅行も好きです。ゆ~る・じゃぱんでは、日本大好きまーさんが暮らしのに漂う日本の香り・日本文化をゆる~く綴っていきます。

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