『野心のすすめ』“ゆ~る”でない生き方
林真理子氏の『野心のすすめ』を読みました。
一言でいえば、忘れかけていた「チャレンジ精神」を思い出させてくれる本です。
「自分ももう一花咲かせよう、いや咲かせねばならない」と発奮させられる本、
とでも言ったらいいでしょうか。
「野心」という言葉には、林氏の言う通り
「腹黒かったり身の程知らずであつかましいイメージ」があります。
およそ、平均的な日本人の心にはそぐわない、
ある意味、過激な言葉ではないかと思います。
氏に倣ってまーさんも「野心」を辞書で引いてみました。
すると、以下のように載っていました。
その人の経歴からは到底実現できそうもないとだれもが思っていることを、見事にやってのけて世間を驚かせようとひそかに抱く気持。(『新明解国語辞典 第六版』)
さすが新明解、いつもながら感心させられる面白さです(注)。
「野心」は「ひそかに抱く気持」だとすれば、林氏のように、常に「なりたい自分」を公にしてきた場合、それは「野心」ではなく言ってみれば「公開アファメーション」(??正確には少し違うと思いますが・・スイマセン)に近い気がします。が、ともかく、そのようにして氏は様々な欲望を思い通りに実現してきたのであります。
本書は、まーさんにとって「共感」「疑問」
両方の部分があります。以下、まとめてみます。
「共感」
○氏が三十を過ぎて「無知の知」(ソクラテスの教え。氏の解説を引用すると「自分が何も知らない、ということを知っている人間は、自分が無知であることを自覚していない人間よりも、もっといろいろなことを知りたい、学ばなければならない、と思える点で勝っている」)に目覚めたということ。
自分が無知であることは、まーさんも日々痛感しており、時に己が可哀想になるほどでもありますが、それこそが重要なのだという「無知の知」の教え、勇気づけられます。林氏もおそらくそうして自分を鼓舞してきたのではないかと推察します。
○世の中には歴然たるヒエラルキーが存在し、三流は三流で固まりやすく、ぼんやりしていてラクで、居心地が良いがつまらない)。一方、一流の人たちは本当に面白く、全てが輝きを放っており、そこに上り詰めるのは大変だが、ずっとこの人たちと一緒のところにいたいと思わせられる。
本当にその通りだと思います。何かを極めた人の面白さ・オーラはとてもまぶしく楽しく、とてつもないパワーをもらうことが出来ます。自分もそうありたいと強く願うようになります。
○たまには気前良く、自分に投資することは必要。好奇心の赴くままに行動したり、ここぞというときに前へ進んで行くためにも、人生を豊かにしてくれるお金は不可欠である。
この考え方から、氏は「女性も仕事を持って働くべき」と強く主張するのでしょう。確かに、魅力的な人間になるためには、自分への投資は絶対に必要だと思います。
○野村克也氏のことば「自分は特別な人間だという自信と、自分は普通の人間だという謙虚さ。この二つを持っていたい」
非常に重要な視点、バランス感覚だと思います。どちらか一方しか持ち合わせていない場合、あるいは人間的魅力に欠ける可能性も生まれると感じます。
○林氏は、現実に野心と向き合うのが怖くて、なかなか小説を書き出すことが出来ず、編集者の強い後押しで、ようやく腹を決めた。
分かるなあ。まーさんも「現実に野心と向き合うのが怖くて」こころざし半ばで諦めた事柄がいくつもあります。自分は『山月記』の李徴そのものだなあ、と心底あきれて自分にダメ出しし、焦燥感であふれかえっていました(ごく最近まで)。
○人に否定されたら、悔しい気持ちをパワーに変えていく。
無理だと思ってもやる。ここまでという枠を決めてやると、今の自分以上には成長できない。
○小林由紀子氏の話
「女性は入社後数年は「ウサギ」として可愛がられ、その間に仕事を覚え人間関係を築かねばならない。最初から「トラ」をやっていると生意気と嫌われる。が、いつかは使われる立場を脱却してトラにならねばならない。」
息子が生まれる前、仕事をしていた時のまーさんを思い出します。まさしくこんな感じでした。「悔しさをバネに」「無理してもやる」「ウサギのふりして実はトラ」
ただもう使命感と自己発展の欲求に突き動かされ、がむしゃらに仕事をしているうちに、まーさんは体を壊したのでした。
「疑問」
これは何といっても「専業主婦に関する林氏の見解」です。
氏は言います。
「家庭生活や子育てで人間が成長するということ自体は否定しないが、それは仕事での成長の比ではない。「子育てで人間的に成長しました」というのは単なる自画自賛だし信用していない。仕事でイヤなことに堪えていく胆力を鍛えていれば、子どもがないたくらいでうろたえない人間力は自然に身についている。」
・・・???
そうでしょうか?
詳細は忘れましたが、以前キャリアとしてバリバリに働いていた女性が、出産を機に退職して専業主婦になった途端、うつ病になったという記事を読みました。
「子育て」がどれほど大変で責任の重い仕事か。これは核家族で周囲の援助もほとんどなく、たった一人で育児を行っている専業主婦の皆さんなら、頷いていただけることだと思います。
林氏は専業主婦の経験がないので仕方のないことだとは思いますが、「育児での成長」と「仕事での成長」は全く方向の異なる種類のものです。育児は“幅が広がる成長”で、仕事は“縦に伸びる成長”という気がします。どちらも自己発展には変わりありません。
専業主婦はシャドーワークです。他者からのリスペクトもなければ金銭的報酬もありません。確かに氏の言う通り「自己顕示欲の少ない人」しか、この仕事には耐えられないと思います。
仕事をしながら子育てをするまーさんの友人達は、
「仕事がなかったら耐えられない。子供と一日中べったりなんて考えられない。保育所の先生は、しつけから何から全部面倒見てくれるので、本当に助かる。小学校に上がったら誰も面倒見てくれないので不安。」
「仕事は社会との接点を持てるという意味で生きがいになっている。自分も社会で役に立っているという満足感がないとやっていけない。」
と言います。
確かにそうですね。育児を一人で背負うのは本当にキツイし、シャドーワークに徹するには、相当の勇気と覚悟がいるのではないかと思います。
まあ、だからこそ林氏は「女性も仕事を持つべき」と言い切るのでしょうけど。
「夫婦がそれぞれに働いている(自立している)からこそ確認できる愛情がある」とも言っています。
それも一理あるでしょう。
しかし、ワーカホリックとどっぷり専業主婦の両方を経験したまーさんが今思うのは、ベクトルの違う二つの仕事はどちらも大変だし、それ相応の覚悟や生き方の見極めがないと、不満だらけの生活になる、ということです。
「人間にとってのいちばんの幸福は人から必要とされること」と氏は言います。また「人には人それぞれの生き方がある」とも言います。
人から必要とされる野心を、どの地点に見いだすか。仕事か、家庭か、はたまたボランティア等の社会活動か。
それこそ人それぞれだと思いますが、最初に戻りますと「野心」=「高望みをやってのけて世間を驚かせようとひそかに抱く気持」だとすれば、氏の言うように人生を俯瞰的に見て、自分の送りたい人生の目標を決め、それに向かって努力することが必要なのだと思います。
「野心」と「努力」は車の前輪と後輪のようなものだと林氏は言います。他者との比較でなく、自己実現に向けて努力する自分との戦い。一つの成功が更なる幸福願望を呼び寄せ、肥大化し続ける野心を満たすべく努力を続ける日々。
氏の最後の言葉はこうです。
「人の一生は短いのです。挑戦し続ける人生をの第一歩を踏み出して下さる方が、一人でも増えることを祈ります。」
そうですか――
「野心を持ち自己実現のために将来を見据えて努力を重ねること」現在のまーさんには、正直言って全く存在しない視点でした。
むしろ「今ハートの声に従って、刹那を大切に楽しく生きる」ということばかり考えていた気がします。
しかし、「野心と努力」と「刹那主義」は一見すると全くの別物ですが、もしかしたらこれを止揚するためのカギとなる何かがあるのではないか。それは「ハートの声に耳を傾ける」ということと深く関係するのではないか、とふと思ったりもしました。
それにしても、「野心」を持ち続け、恒常的な焦燥感と飢餓感を抱えつつ努力を続ける林氏の生き方。
まことに僭越ながら、かつての自分に近い感じを持ち、懐かしくも息苦しい気持ちを持ちました。同時に、氏の見解は、日本人特有の「横並び意識」「村社会」に批判的な一石を投じた気もして、ある種の爽快感も覚えました。
しかし、ごく最近「穏やかに生きる幸せ」に目覚めてしまったまーさんからすると、本書を読んでも、「よし!野心を持たねば!」とはならず、「野心、大切かもね。でも一瞬先はどうなっているか分からないこの世で、先々の目標のためだけに今を使うことはしたくないな。ではこれをどう止揚するか。」
と、また同じところに考えが戻って来るのであります。
まあ、とどのつまり「野心」という程のギラギラした感情はとっくに消えてしまって、「ゆるやかに面白いことを探している」のが、今のまーさんなのです。
とはいえ、友人達の言うように「自己の社会的有用性を確認する」ために、仕事を持つことも大切かもしれませんね。
最近は頭から消え去っていた「仕事」のことを考えるきっかけを与えてくれた本、それが『野心のすすめ』ということになりましょうか。
何とも“ゆ~る”な感想で締りがありませんが(笑)、ここまで長文にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
(注)『新明解国語辞典』は、面白い記述で有名な辞書です。
例えば「恋愛」を引いてみると
「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無い
と思うような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、
二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、
それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば
不安になるといった状態に身を置くこと。」
とあります。
わはは~~となりますよね。

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一言でいえば、忘れかけていた「チャレンジ精神」を思い出させてくれる本です。
「自分ももう一花咲かせよう、いや咲かせねばならない」と発奮させられる本、
とでも言ったらいいでしょうか。
「野心」という言葉には、林氏の言う通り
「腹黒かったり身の程知らずであつかましいイメージ」があります。
およそ、平均的な日本人の心にはそぐわない、
ある意味、過激な言葉ではないかと思います。
氏に倣ってまーさんも「野心」を辞書で引いてみました。
すると、以下のように載っていました。
その人の経歴からは到底実現できそうもないとだれもが思っていることを、見事にやってのけて世間を驚かせようとひそかに抱く気持。(『新明解国語辞典 第六版』)
さすが新明解、いつもながら感心させられる面白さです(注)。
「野心」は「ひそかに抱く気持」だとすれば、林氏のように、常に「なりたい自分」を公にしてきた場合、それは「野心」ではなく言ってみれば「公開アファメーション」(??正確には少し違うと思いますが・・スイマセン)に近い気がします。が、ともかく、そのようにして氏は様々な欲望を思い通りに実現してきたのであります。
本書は、まーさんにとって「共感」「疑問」
両方の部分があります。以下、まとめてみます。
「共感」
○氏が三十を過ぎて「無知の知」(ソクラテスの教え。氏の解説を引用すると「自分が何も知らない、ということを知っている人間は、自分が無知であることを自覚していない人間よりも、もっといろいろなことを知りたい、学ばなければならない、と思える点で勝っている」)に目覚めたということ。
自分が無知であることは、まーさんも日々痛感しており、時に己が可哀想になるほどでもありますが、それこそが重要なのだという「無知の知」の教え、勇気づけられます。林氏もおそらくそうして自分を鼓舞してきたのではないかと推察します。
○世の中には歴然たるヒエラルキーが存在し、三流は三流で固まりやすく、ぼんやりしていてラクで、居心地が良いがつまらない)。一方、一流の人たちは本当に面白く、全てが輝きを放っており、そこに上り詰めるのは大変だが、ずっとこの人たちと一緒のところにいたいと思わせられる。
本当にその通りだと思います。何かを極めた人の面白さ・オーラはとてもまぶしく楽しく、とてつもないパワーをもらうことが出来ます。自分もそうありたいと強く願うようになります。
○たまには気前良く、自分に投資することは必要。好奇心の赴くままに行動したり、ここぞというときに前へ進んで行くためにも、人生を豊かにしてくれるお金は不可欠である。
この考え方から、氏は「女性も仕事を持って働くべき」と強く主張するのでしょう。確かに、魅力的な人間になるためには、自分への投資は絶対に必要だと思います。
○野村克也氏のことば「自分は特別な人間だという自信と、自分は普通の人間だという謙虚さ。この二つを持っていたい」
非常に重要な視点、バランス感覚だと思います。どちらか一方しか持ち合わせていない場合、あるいは人間的魅力に欠ける可能性も生まれると感じます。
○林氏は、現実に野心と向き合うのが怖くて、なかなか小説を書き出すことが出来ず、編集者の強い後押しで、ようやく腹を決めた。
分かるなあ。まーさんも「現実に野心と向き合うのが怖くて」こころざし半ばで諦めた事柄がいくつもあります。自分は『山月記』の李徴そのものだなあ、と心底あきれて自分にダメ出しし、焦燥感であふれかえっていました(ごく最近まで)。
○人に否定されたら、悔しい気持ちをパワーに変えていく。
無理だと思ってもやる。ここまでという枠を決めてやると、今の自分以上には成長できない。
○小林由紀子氏の話
「女性は入社後数年は「ウサギ」として可愛がられ、その間に仕事を覚え人間関係を築かねばならない。最初から「トラ」をやっていると生意気と嫌われる。が、いつかは使われる立場を脱却してトラにならねばならない。」
息子が生まれる前、仕事をしていた時のまーさんを思い出します。まさしくこんな感じでした。「悔しさをバネに」「無理してもやる」「ウサギのふりして実はトラ」
ただもう使命感と自己発展の欲求に突き動かされ、がむしゃらに仕事をしているうちに、まーさんは体を壊したのでした。
「疑問」
これは何といっても「専業主婦に関する林氏の見解」です。
氏は言います。
「家庭生活や子育てで人間が成長するということ自体は否定しないが、それは仕事での成長の比ではない。「子育てで人間的に成長しました」というのは単なる自画自賛だし信用していない。仕事でイヤなことに堪えていく胆力を鍛えていれば、子どもがないたくらいでうろたえない人間力は自然に身についている。」
・・・???
そうでしょうか?
詳細は忘れましたが、以前キャリアとしてバリバリに働いていた女性が、出産を機に退職して専業主婦になった途端、うつ病になったという記事を読みました。
「子育て」がどれほど大変で責任の重い仕事か。これは核家族で周囲の援助もほとんどなく、たった一人で育児を行っている専業主婦の皆さんなら、頷いていただけることだと思います。
林氏は専業主婦の経験がないので仕方のないことだとは思いますが、「育児での成長」と「仕事での成長」は全く方向の異なる種類のものです。育児は“幅が広がる成長”で、仕事は“縦に伸びる成長”という気がします。どちらも自己発展には変わりありません。
専業主婦はシャドーワークです。他者からのリスペクトもなければ金銭的報酬もありません。確かに氏の言う通り「自己顕示欲の少ない人」しか、この仕事には耐えられないと思います。
仕事をしながら子育てをするまーさんの友人達は、
「仕事がなかったら耐えられない。子供と一日中べったりなんて考えられない。保育所の先生は、しつけから何から全部面倒見てくれるので、本当に助かる。小学校に上がったら誰も面倒見てくれないので不安。」
「仕事は社会との接点を持てるという意味で生きがいになっている。自分も社会で役に立っているという満足感がないとやっていけない。」
と言います。
確かにそうですね。育児を一人で背負うのは本当にキツイし、シャドーワークに徹するには、相当の勇気と覚悟がいるのではないかと思います。
まあ、だからこそ林氏は「女性も仕事を持つべき」と言い切るのでしょうけど。
「夫婦がそれぞれに働いている(自立している)からこそ確認できる愛情がある」とも言っています。
それも一理あるでしょう。
しかし、ワーカホリックとどっぷり専業主婦の両方を経験したまーさんが今思うのは、ベクトルの違う二つの仕事はどちらも大変だし、それ相応の覚悟や生き方の見極めがないと、不満だらけの生活になる、ということです。
「人間にとってのいちばんの幸福は人から必要とされること」と氏は言います。また「人には人それぞれの生き方がある」とも言います。
人から必要とされる野心を、どの地点に見いだすか。仕事か、家庭か、はたまたボランティア等の社会活動か。
それこそ人それぞれだと思いますが、最初に戻りますと「野心」=「高望みをやってのけて世間を驚かせようとひそかに抱く気持」だとすれば、氏の言うように人生を俯瞰的に見て、自分の送りたい人生の目標を決め、それに向かって努力することが必要なのだと思います。
「野心」と「努力」は車の前輪と後輪のようなものだと林氏は言います。他者との比較でなく、自己実現に向けて努力する自分との戦い。一つの成功が更なる幸福願望を呼び寄せ、肥大化し続ける野心を満たすべく努力を続ける日々。
氏の最後の言葉はこうです。
「人の一生は短いのです。挑戦し続ける人生をの第一歩を踏み出して下さる方が、一人でも増えることを祈ります。」
そうですか――
「野心を持ち自己実現のために将来を見据えて努力を重ねること」現在のまーさんには、正直言って全く存在しない視点でした。
むしろ「今ハートの声に従って、刹那を大切に楽しく生きる」ということばかり考えていた気がします。
しかし、「野心と努力」と「刹那主義」は一見すると全くの別物ですが、もしかしたらこれを止揚するためのカギとなる何かがあるのではないか。それは「ハートの声に耳を傾ける」ということと深く関係するのではないか、とふと思ったりもしました。
それにしても、「野心」を持ち続け、恒常的な焦燥感と飢餓感を抱えつつ努力を続ける林氏の生き方。
まことに僭越ながら、かつての自分に近い感じを持ち、懐かしくも息苦しい気持ちを持ちました。同時に、氏の見解は、日本人特有の「横並び意識」「村社会」に批判的な一石を投じた気もして、ある種の爽快感も覚えました。
しかし、ごく最近「穏やかに生きる幸せ」に目覚めてしまったまーさんからすると、本書を読んでも、「よし!野心を持たねば!」とはならず、「野心、大切かもね。でも一瞬先はどうなっているか分からないこの世で、先々の目標のためだけに今を使うことはしたくないな。ではこれをどう止揚するか。」
と、また同じところに考えが戻って来るのであります。
まあ、とどのつまり「野心」という程のギラギラした感情はとっくに消えてしまって、「ゆるやかに面白いことを探している」のが、今のまーさんなのです。
とはいえ、友人達の言うように「自己の社会的有用性を確認する」ために、仕事を持つことも大切かもしれませんね。
最近は頭から消え去っていた「仕事」のことを考えるきっかけを与えてくれた本、それが『野心のすすめ』ということになりましょうか。
何とも“ゆ~る”な感想で締りがありませんが(笑)、ここまで長文にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
(注)『新明解国語辞典』は、面白い記述で有名な辞書です。
例えば「恋愛」を引いてみると
「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無い
と思うような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、
二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、
それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば
不安になるといった状態に身を置くこと。」
とあります。
わはは~~となりますよね。

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