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まーさん超訳『竹取物語』~阿部の右大臣と火鼠の皮衣②~

先日、1月29日は、息子の誕生日でした。

毎年この日は、なぜだか分かりませんがまーさん、
息子の生まれた時間(午前4時20分)に目が覚めます。
今年もやはり、4時過ぎごろに目が覚めました。
そして、彼が生まれた時のことを回想いたしました。

とんでもない難産で、生まれるまでに37時間もかかりました(汗)
促進剤やら何やら、色々やりましたが結局生まれず、
最後は看護師さんがまーさんのお腹の上に乗っかって
上からぎゅうぎゅうと押し(驚)
やっとのことで生まれたという・・・(@_@;)

この日の夕食は、息子の好きな料理と、夫が買ってきたケーキでお祝いしました。

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息子が差したローソクは、あちこち向いて倒れそう・・(^^ゞ


子供は、あっという間に大きくなってしまうものですね(笑)
まーさんの両親もまた、「子供はあっという間に…」
などと思いつつ誕生日を祝っていたのかなあと、ふと考えたりもしました――



                 ◇



まーさん超訳『竹取物語』~阿部の右大臣と火鼠の皮衣②~


《あらすじ》
阿部の右大臣は、皮衣を持ってかぐや姫の家の門までやって来た。竹取の翁が邸から出て来てそれを受け取り、かぐや姫に見せる。かぐや姫が言うことには、
「立派な皮のようですね。しかし、これが絶対に本物の皮だという確証はどこにもありません。」
竹取の翁が答えて言うことには、
「とにもかくにも、まず屋敷の中にお招き申しましょう。この世に見られないような素晴らしい皮衣ですので、これを本物と思いなさいませ。大臣をあんまりお苦しめなさいますな。」
と言って、右大臣をお呼びし、お座りになるよう促した。

このようにお呼びしお座りいただいたからには、「今度こそ、結婚することになるだろう」と、嫗も心の中で思っている。翁は常々、かぐや姫が独身であることを嘆かわしく思っていたので、立派な人と結婚させようと考えを巡らせていた。しかし、姫はどうしても「いやです」というので、無理強いすることも出来ずにいた。だから今回こそはと、期待する思いが強いのである。かぐや姫が翁に言った。
「この皮衣が火にくべても焼けなければ、本物の火鼠の皮衣だろうと思い、右大臣の言うとおりにいたしましょう。あなた様は『この世には見られない物なので、これをこそ本物と思いましょう』とおっしゃいます。しかしやはり、わたくしは、これを焼いて真実を知りたいと思うのです。」
翁は、
「それも、もっともなことですなあ。」
と言って、大臣に、
「姫がこのように申しております。」
と伝える。大臣は答えて言う。
「この皮は、唐土にもなかったものを、やっとのことで探し求めて手に入れたのです。何を疑うことがありましょうや。」
翁は、
「そうは申しますが、ともかく早く焼いてご覧になって下さい。」
と言うので火の中にくべて焼かせたところ、何とめらめらと焼けてしまったのである。
「焼けてしまうとは・・・つまりこれは偽物の皮だったのだ・・・」
と翁は言う。大臣はこれをご覧になり、草の葉の色のように真っ青になって座っていらっしゃる。一方かぐや姫は、
「ああ、嬉しいこと。」
と喜びつつ座っている。そして、先ほど大臣がお詠みになった歌の返歌を、皮衣が入れてあった箱に入れて返した。



名残りなく燃ゆと知りせば皮衣思ひのほかにおきて見ましを

≪影も形もなく燃えてしまうと分かっていたなら、

この皮衣を問題にもせず見ていましたのに――

火で焼いたりせず火の外に置いて見ていましたのに――≫


と書いてあった。大臣は、どうすることも出来ず、

そのままお帰りになったということだ。

世の人々は、

「阿部の大臣は、火鼠の皮衣を持っていらして、かぐや姫とご結婚なさるとか。

ここにもう、いらっしゃるのですか。」

などと尋ねる。お仕えしている人が言うには、

「皮は、火にくべて焼いたところ、めらめらと焼けてしまったので、

かぐや姫は、大臣とは結婚なさらなかったのです。」

と言ったので、これを聞いてから、遂げることが出来なかった事柄を、

「阿部なし」ならぬ「あへなし(手の打ちようもなくがっかり)」

と言うようになったとか。




次回に続きます。


参考文献
*『日本古典文学全集8 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』(小学館)
*『岩波古語辞典』(大野晋 佐竹昭広 前田金五郎 編)




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まーさん超訳『竹取物語』~阿部の右大臣と火鼠の皮衣①~

昨日、映画「永遠の0」を観ました。
例によって、号泣しました・・・(T_T)

見どころは「全編に貫かれた人間愛」「過去と現代を繋ぐ謎解き」
「戦闘シーンのリアルな迫力」でしょうか。

とりわけまーさんは、映画の主要人物である宮部久蔵の、
『己の心にあくまでも忠実であろうとする生き方』
『徹底的に純粋かつ誠実な心の在り様』
『家族を含め命に対する切実な愛情』
に、強い衝撃と憧憬の気持ちを抱きました。

現代日本は、あの悲惨な太平洋戦争を礎として、今ここに存在している。
そして我々日本人は、戦争を生き抜いた人々の子孫として
ここに命をもらって生きている。
さらに言えば我々の存在は、戦争によって命を落とされた多くの日本人の
思いや志の上に成り立っている――

そんなことを強く感じ、いつまでも心が揺さぶられ、
ふとした時に思い出し思考の海溝に沈んでしまうような、
そんな切り口の多い、見どころある映画でした。



             ◇



まーさん超訳『竹取物語』~阿部の右大臣と火鼠の皮衣①~


《あらすじ》
右大臣阿部御主人は、財産が豊かで、繁栄を誇る一門の人であった。その年にやって来て知り合いとなった、唐船(中国船)の王けいという人に手紙を書き、
「火鼠の皮とかいうものを、買って寄こして欲しい」
としたため、家来の中でも心のしっかりした、小野のふさもりという人を手紙と共に遣わすことにした。ふさもりは唐土(中国)に渡り、王けいのもとを訪れ、彼に金を授ける。王けいは、右大臣からの手紙を広げて読み、返事を書く。

「火鼠の皮衣は、この唐土にはない物でございます。噂には聞いておりますが、いまだ見たことがございません。この世に存在するものならば、誰かが我が国に持って参るでしょうが・・・これは大変難しい交易です。しかしながら、もし天竺(インド)に万が一渡来していましたら、ひょっとしたら長者の家などを訪ねて手に入れることが出来るやもしれません。この世にない物ならば、使者に添えて金をお返しいたしましょう。」

しばらくして、小野のふさもりを乗せた唐船が日本に戻って来た。彼が帰国し、都に参上すると聞き、右大臣は矢も楯もたまらず、足の速い馬を走らせ、迎えに行かせた。驚いたことに、ふさもりはたった七日で築紫から都に帰って来た。彼が持ち帰った王けいからの手紙を見ると、次のように書かれてあった。

「火鼠の皮衣を、人を使わしてようやく手に入れることが出来ましたので、お届け申し上げます。今の世でも昔の世でも、この皮は簡単に手に入るものではございません。しかしながら昔、恐れ多くも霊験あらたかな天竺の高僧が、この唐土の国に持って渡っていたのです。その品が西の山寺にあると聞き及びまして、朝廷に申して、やっとのことで買い取り、貴方様にこうして献上するのでございます。実はその時、『代金が少ない』と、買い取りをした国司が我が使いの者に申したので、この王けいの金を加えて買いました。ですから、金をもう五十両頂戴しなければなりません。万が一、その金がいただけないのであれば、あの衣を返していただきとう存じます。」

このように記してあるのを見て、右大臣は、
「何をおっしゃるか。金は、あと少し必要なだけではないか。しかし何とまあ、嬉しくも皮衣を送ってくれたものよ。」
と言って、唐土の方に向かって伏し拝みなさる。

この皮衣を入れた箱を見ると、様々の立派な瑠璃を彩色して作ってある。皮衣はと見れば、金青(こんじょう)の色をしており、毛の末には、金色の光が輝いている。まさに宝物と見え、立派なことこの上もない。《火に焼けない》ということよりも、とにかくその類まれなる美しさが限りもないのである。

「なるほど、かぐや姫がお求めになりたがるのは合点がいくのう。」
とおっしゃって、「ああ、尊いこと」と箱にお入れになり、木の枝に付け、ご自身の化粧もたいそう念入りになさった。右大臣は「このまま婿として姫の邸に泊まることになろうぞ」と思い、歌を詠んで先ほどの木の枝に付け加え、持参した。その歌は、



かぎりなき思ひに焼けぬ皮衣袂かわきて今日こそは着め

≪限りないわたくしの思ひの火にも焼けないという皮衣、

それを手に入れて、この上もない恋の思ひに泣きぬれていたわたくしの袂も、

今日こそは乾いたまま着ることが出来ましょうぞ≫

と書かれている。





次回に続きます。



参考文献
*『日本古典文学全集8 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』(小学館)
*『岩波古語辞典』(大野晋 佐竹昭広 前田金五郎 編)



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息子と遊んだ日

今日は朝の天気予報に反し、とても寒い一日でした・・・

日本の七十二候では、今日1月25日~1月29日頃を「水沢腹く堅し(みずさわあつくかたし)」と言うそうです。
『日本の七十二候を楽しむ―旧暦のある暮らし―』(文 白井明大 絵 有賀一広 東邦出版)の説明では、

(水沢腹く堅しとは)沢の水が厚く張りつめるころ。日本の最低気温*マイナス四十一度は、この時期に。
*明治三十五年一月二十五日、旭川市で記録


とありました。

この時期を過ぎると、次第に春の気配が感じられるようになるのでしょう。

不思議なことですが、数日前まーさんは、夜、寝床で横になっている時、突然春の温い空気と、微かな若芽の匂いを鼻先に感じました。これはよくあることなのですが、まーさんには季節を先取りして、次の季節の気配を感じる一日が、四季の中に必ずあるのです。冬には春の気配、春には夏の気配と言うように、新たな季節の息吹を感じる時、何とも言えない昂揚感で心が満たされます。皆さまにはそのようなご経験は、おありになるでしょうか・・・



ところで今日は、息子と一日中べったり行動を共にした日となりました(笑)

午前中は、空手の稽古の送り迎え。

そのあとは、彼のたっての希望で、マ●ドナルドに行きました(^^ゞ目当てはハッピーセットに付いてくるオモチャ(トミカのミニカー)です――未だにこういうもの、欲しがるんですね(-_-;)しかしよく考えてみれば、まーさんの夫も未だにミニカー大好きですし、Nゲージを、いくらつぎ込んだか分からないくらい大人買いしてますので、男性はいくつになってもこういうものが好きなのだなあ、と面白く観察したりしております(*´з`)

ジャンクフードで昼食を済ませた後は、これまた息子の希望でゲームセンターへ。「仮面ライダー」のゲーム『ガンバライジング』をやるためです。一時期下火になった仮面ライダー熱が、彼の中でまた復活し、あんなに夢中だった「ポケットモンスター」のゲーム『ポケモントレッタ』はすっかりお見限り。最近は専ら『ガンバライジング』、なのです(@_@;)

ゲームで満足した後は、オモチャ売り場に直行。近頃ハマっている「妖怪ウォッチ」というアニメのオモチャを見に行くためです。まーさんはあまり詳しくないのですが、息子によれば「妖怪ウォッチ」とは、もともとDSのゲームだったのですが、先日TVアニメとして放映がスタートし、それが子供達の間で人気爆発!!主人公が持っている「妖怪メダル」や「妖怪ウォッチ」のオモチャは、どこのお店でも売り切れ状態です。

ところが・・・!!

あったのです!!「妖怪ウォッチ&メダルセット」が!!

息子は目の色を変えて、
「あ!!あった!!欲しい、買いたい!!」
とその場に立ち尽くしました(*_*)

本当は、来週の誕生日プレゼントとして、夫の父母(息子の祖父母)に買ってもらうと決めていたオモチャだったのですが、何せ、いつ手に入るか分からないレアなモノ――見つけた時に買わないと後で後悔する、という強迫観念??からでしょうか、その場から一歩も動かない息子さま・・・

まあ、気持ちは分かります・・・
ですから今日は特別に、まーさんの父(息子の祖父)からの誕生日プレゼントということで、お正月にもらったお年玉を使い、念願の「妖怪ウォッチ&メダルセット」を買い与えたのでした(゚Д゚)ノ
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大満足の息子さまを連れ、
最後はまーさんの欲しかった本を二冊買い、帰途に就きました。

帰宅後は、2月の漢字検定の勉強をしたり、お風呂でのぼせるまで水鉄砲で遊んだりヽ(^。^)ノまあいつもの夜の過ごし方と同じでございます。ただ今日は休日ということもあり、今こうしてまーさんがPCに向かっている間にも、まだ彼はTVを見て夜更かしをしております(-_-;)
このあと布団に入り、いつものように本の読み聞かせ&まーさんのお話で、眠りにつくのでありましょう・・・



本日は、とりとめのない一日のご報告(苦笑)

しかしこんな何でもない日を、ふと「未来からの目」で振り返ってみますと、ものすごく貴重な一日だったなあと、しみじみ思うまーさんなのであります・・・



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まーさん超訳『竹取物語』~くらもちの皇子と蓬莱の玉の枝③~

今日の読売新聞「編集手帳」に、詩人・吉野弘氏の訃報が掲載されていました。

吉野氏は、まーさんの大好きな詩人の一人です。皆さまも高校時代、現代文の教科書にて氏の「I was born」という詩を読んだご記憶がある方も、いらっしゃるのではないでしょうか。
かくいうまーさんも、高校時代この詩に出会い、「我々の誕生は、受け身(生まれる)の出来事なのだ!」という≪僕≫の発見に同じように興奮し、蜻蛉の話・≪僕≫の亡母の話に、命の切なさを感じたのでした――

吉野弘氏の詩、有名な「祝婚歌」「夕焼け」なども大好きな詩の一つですが、久々に氏の全詩集を読み返してみたいと思った次第であります。――心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

                   ◇
 


まーさん超訳
『竹取物語』~くらもちの皇子と蓬莱の玉の枝③~



《あらすじ》
こうしているうちに、見慣れぬ下男たち六人が、連なって庭にやって来た。中の一人が文挾み(ふみばさみ)に文を挟んで掲げ、姫に訴える。

「内匠寮の工匠(たくみつかさのたくみ)、あやべの内麻呂が申し上げます。わたくし共は、くらもちの皇子様の命にて、玉の枝をお作り申し上げました。五穀を断ち、千余日の間、全力を尽くしました。にもかかわらず、給金をまだいただいておりません。わたくしの下僕たちにも、何も与えられずにおります。」
と言って、文挾みを捧げている。

竹取の翁は、この者たちの申すことが、何のことやら分からず首をかしげている。
一方の皇子は、どうしてよいか分からぬ様子で、驚愕して座っていらっしゃる。
かぐや姫は「この工匠が差し出している文を取りなさい」と言って、それを読んでみると・・・

『皇子の君は千日の間、身分卑しい工匠たちと共に、同じ家に隠れ住み、素晴らしい玉の枝を作らせました。そして、完成の暁には私共に官職をも与えようとおっしゃいました。しかし何の沙汰もございません。そこで考えましたのは、この玉の枝は、側室として皇子にご奉公なさるであろうかぐや姫が欲しがっておいでだったということです。代わりにどうか、こちらの姫のお邸から褒美を賜りとう存じます。』
とあった。工匠は「褒美はいただいて当然です。」などと言っている。

それを聞いたかぐや姫は、ふさぎ込んでいた気持が一気に晴れた。日暮れが近づくにつれ「このまま皇子と結婚せねばならぬのか・・・」と憂鬱になっていたのだが、今や声を立てて笑いながら翁を呼んで言った。
「本当にこれが蓬莱の木かと思っていましたが、このような呆れた偽り事だったのですから、すぐにお返しして下さい。」
翁も、
「確かに、作り物と聞きましたからには、お返しすることはしごく簡単なことです。」
と頷いている。



かぐや姫の心はすっかり雲が晴れたようになり、

先ほどの皇子の歌の返歌をする。



まことかと聞きて見つれば言の葉をかざれる玉の枝にぞありける

≪皇子のの話を聞いて、本当の玉の枝かと見ましたが、

実は「金の葉」ではなく「言の葉」で飾った、偽物の玉の枝でございましたのね≫


と言って、歌と一緒に玉の枝も返してしまった。

竹取の翁は、あれほど心を開いて語り合ったのが全て偽りであったと知り、

今さらながらどうしようもないことだが、ばつが悪く思われて、

眠ったようなふりをして座っている。

皇子は、立つのも恥ずかしく、座っているのも恥ずかしいといったご様子で、

そこにお座りになっている。

そのうち日が暮れたので、皇子はかぐや姫のもとを、するりと抜け出して

おしまいになった。


かぐや姫は、あの愁訴をした工匠を呼んで座らせ、

「嬉しい人たちだこと」

と言って褒美をたくさん取らせなさる。工匠たちはたいそう喜んで、

「思った通りに願いが叶ったことよ」

と言って帰った。

ところがその途中、くらもちの皇子が工匠たちを待ち構えていて、

血の流れるまで彼らを打ち据えなさる。工匠たちは褒美を得た甲斐もなく、

皇子がそれをみな取り上げ、お捨てになったので、

そのまま逃げ失せてしまったということだ。


こうして、この皇子は、

「生涯において、これに勝る恥はなかろう。

女を手に入れることが出来なかっただけでなく、世の中の人が、

自分を見て一体何を思うか、みっともなくて居たたまれないことだ」

とおっしゃって、ただ一人、深い山へお入りになった。宮司(執事)や

お仕えしている人々は、みな手分けしてお探し申し上げたが、

お亡くなりにでもなったのだろうか、見つけ申し上げることが出来なかった。

皇子は、恥ずかしさのあまり、供の者達から姿をお隠しになろうと、

何年もお姿を見せなかったのである(が、のちに偶然、姿を現したらしい)。


この「玉」の枝の出来事から、

「たまさかに(偶然にばったり出会う)」という言葉が、言われ始めたとか。





次回に続きます。


参考文献
*『日本古典文学全集8 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』(小学館)
*『岩波古語辞典』(大野晋 佐竹昭広 前田金五郎 編)



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まーさん超訳『竹取物語』~くらもちの皇子と蓬莱の玉の枝②~

先週から、めまいと頭痛、胃痛に悩まされていたまーさん。一体どうしたことか、見当もつきませんが(汗)、とにかく頭がぐらぐらして、PCに向かうことが出来ませんでした~~(◎_◎;)
今日の午後、少し持ち直してきましたので、こうして超訳『竹取物語』の続きを綴っております・・・

ところで――
本日の「読売新聞」一面の最下段広告に、前回当ブログでご紹介しました絵本『おじいちゃんがおばけになったわけ』が掲載されていました。「親子三代で読みたい心に沁みる傑作絵本!【15万部突破!】(6歳から)」とありました。
おお~~、何だかとても良いタイミング!先日読み聞かせをした、小学4年生の子供たち、もしもこの広告を見てくれていたら、ぜひおうちの方にも、どんなお話だったか話してくれたら嬉しいなあ、と思ったりしました。

そして同じく一面最下段の広告に、まーさんのとても気になる本が掲載されていました。「日本人らしさの発見」という本です。画像はありませんが、ご参考までに以下ご紹介を載せておきます。

日本人らしさの発見日本人らしさの発見
(2013/12/06)
芳賀 綏

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新聞の紹介文には「万物をいつくしむ日本の〈凹型文化〉が、排他的な〈凸型文化〉主導の歴史を変えさせ、危機に立つ地球環境と人類を救う――。世界の〈凸型〉民族に文明の転換を迫る壮大なスケールの比較文化論。」とありました。

日本文化及び日本人の在り方が、世界を変える突端になるのではないか、今こそ世界に日本文化を輸出するべきではないかと考えるまーさんにとって、本書はまさに「我が意を得たり」の内容です。
しかし何といっても未読でありますので(^^ゞ、いずれ本書を読了し、皆様にご紹介したいと思った際には、当ブログにて感想などを書き綴ってみたいと考えております。


               ◇


まーさん超訳
『竹取物語』~くらもちの皇子と蓬莱の玉の枝②~


《あらすじ》
翁が皇子に、「こんなに不思議なほど素晴らしい木は、一体どのような所にございましたのでしょう。」
と申し上げると、皇子はその木の枝を手に入れたいきさつを、滔々と述べられる。

「一昨々年(さおととし)の二月十日ごろ、わたくしは難波から船に乗って海へ出ました。心細く、当てのないことはこの上もありませんでしたが、『かぐや姫を手に入れられずに、生きていても仕方がない』『生きている限り船旅を続けていれば、いつか蓬莱山に行きつくだろう』と海をただよい、そのうちに、わが日本の海を離れてゆきました。ある時は波にもまれ海底に沈みそうになり、またある時は風のままに吹き寄せられた見知らぬ国で、鬼のようなものに殺されそうになりました。ある時には方向が全く分からなくなり、遭難しそうになりました。ある時には食料が尽きて、流れ着いた島で草の根を食べて生き延びました。ある時は、いいようもなく異様で不気味な化け物がやって来て、わたくしに食いかかろうとしました。ある時には海の貝を取って命をつなぎました。旅の途中で助けてくれる人もなく、様々な病にもかかり、行く先も分からなくなりました。こうしてただ、船に任せて海をただよい続けた五百日目の午前八時ごろ、海の中にちらりと山が見えたのです。船を近づけてみると、その海上をただよう山は、たいそう大きく高く麗しい。『これぞ、わたくしが求めていた蓬莱山であろう!』と思いましたが、やはり恐ろしく思われて、山の周りを二・三日ほど漕ぎまわって調べていました。すると、天人の装いをした女が,山の中から出て来て銀の金碗を持って水を汲み歩いているのです。これを見てわたくしは船を下り『この山の名は何と申すのですか』と尋ねると、女は『これは蓬来の山です』と答えました。私はそれを聞いて飛び上がらんばかりに喜びました。この女に名を問うと『わたくしの名はうかんるり』と言って、さあっと山の中に入ってしまいました。その山を見ると非常に嶮しくて、登る方法もありません。そこで、その山の崖の周辺を巡ってみました。すると、この世のものとは思えぬ花の木が立っています。山中からは金・銀・瑠璃色の水が流れ出ています。その流れ出た川には、色々の玉で作った橋が架かっています。照り輝く木々も立っています。今ここにお持ちしました木の枝は、その中ではたいそう見劣りがするものでしたが、かぐや姫のおっしゃったものと違っていてはまずいと思いまして、この花を折って持ち帰ったのです。蓬莱山はこの上もなく素晴らしく、この世のものには例うべくもない様子でしたが、この枝を折ったからには一刻も早く帰郷したいという思いが募り、船に乗り、追い風によって四百四日で帰って参りました。神仏の大願力のお蔭でありましょうか、難波より、昨日都に戻って参ったのです。潮に濡れた衣をすら脱ぎ替えることなく、すぐにこちらに参上したのです。」




翁はこれを聞いて、感に堪えず大きなため息をつき、歌を詠んだ。

くれたけのよよのたけとり野山にもさやはわびしきふしをのみ見し

≪竹の節と節とが連なるように、長い年月を生きたこの竹取の翁ですが、

野山にても、これ程心細く身に応える経験ばかりしたことがございましょうか、

いや全くございません≫


これをくらもちの皇子が聞いて

「本当に長い間、気力も失せるほどでした心は、

今日あなたの言葉を聞いてすっかり取り除かれました。」とおっしゃって、返歌、


我が袂今日かわければわびしさの千種の数も忘られぬべし

≪塩と涙で濡れた我が袂(たもと)も、

今日はすっかり乾いたのでこれまでの数限りない苦しい経験も、

自然と忘れられてしまうでしょう≫

とおっしゃる。





次回に続きます。


参考文献
*『日本古典文学全集8 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』(小学館)
*『岩波古語辞典』(大野晋 佐竹昭広 前田金五郎 編)




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まーさん超訳『竹取物語』~くらもちの皇子と蓬莱の玉の枝①~

昨日は、息子の小学校で、読み聞かせのボランティアがありました。

まーさんの担当は4年生。
少しお兄さん・お姉さんになった中学年の子供達に、こんなお話はどうかなと思い、読んだのがこれです。

おじいちゃんがおばけになったわけおじいちゃんがおばけになったわけ
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大好きなおじいちゃんを、急な心臓発作で亡くしたエリック。そのエリックのもとに、おばけになったおじいちゃんが夜な夜な現れます。「人がおばけになるのは、この世に忘れ物をしたから」――このことを知ったエリックとおじいちゃんは、その日から「おじいちゃんの忘れ物は何か」を探し始めます。そして・・・。

最後の場面で、まーさんは必ず泣いてしまいます。
今回も、読み聞かせの最中に子供達の前で泣いてしまわないかと、少し不安でしたが、かろうじて踏みとどまりました(^^ゞ(・・・ちょっと声が震えてしまったかもしれないデスが・・・)
もし機会がありましたら、皆様も手に取ってお読みになってみてください^^心に響く、とても良いお話です。

読み聞かせの後は、ボランティアメンバーと共に、3月の「6年生卒業おめでとうイベント」についての打ち合わせ。その後は、学校近くのこぢんまりとした割烹(一日一組限定。予約制)で、楽しくランチをいただきました。

美味しいお食事に盛り上がっていると、お店の女主人から「ウチで作っているオリジナルの日本酒があるから、ちょっと試飲してみる?」とのお言葉。「わあ~~いいんですか~~(喜)」と一同色めき立ち(笑)、まーさんも少しだけ試飲させていただきました。ものすごく!!美味しいお酒でした^^辛口で、まーさん好み。試飲、と言いつつ他のメンバーはぐいぐいと・・・う~む、昼間から良いのだろうか、いやいや良いのです、たまにはね・・・(^▽^;)


                   ◇


まーさん超訳
『竹取物語』~くらもちの皇子と蓬莱の玉の枝①~



《あらすじ》
くらもちの皇子は、大変策略に長けた人だったので、朝廷には「築紫の国(福岡県)に湯治に参ります」と休暇を申し出る一方、かぐや姫には「玉の枝を取りに参ります」と言い、難波(淀川の河口)に下ったのだった。こっそり事を進めるために、わずかな近習だけを供とし、見送りの家来達すらも騙して、いかにも「皇子は船にて出発なさった」と見せかけ、実は三日ほどで港に戻って来たのであった。

かねてから準備していた通り、皇子は、その当時最高とされた鍛冶工匠(かじたくみ)をお召しになり、たやすく人が寄り付けない家を作り竈(かまど)を三重にも囲い、工匠らをそこに入れ、自らも同じ所にこもり、財産をすべて投入して、玉の枝の偽物ををお作りになった。

こうして皇子は、かぐや姫に言われたとおりの玉の枝を、寸分違わず作り上げてしまったのである。皇子は、出来上がった枝を密かに難波へ持ち出し、「今、船に乗って帰って来た」と芝居をし、たいそう苦しそうな様子でそこに座っている。自邸からの迎えも多く参上し、玉の枝を長びつに入れて覆いを掛け、皆で京へと持ち帰る。人々はどこで聞いたのか、「くらもちの皇子は優曇華の花(うどんげのはな)を持って京にお戻りになった!」と騒ぎ立てる。これを聞いたかぐや姫は、「わたくしは、この皇子にきっと負けてしまう・・・」と思い、心配で動悸がおさまらない。

こうしているうちに、くらもちの皇子が旅装も解かず姫の家にいらした、というので、早速翁がお会いになる。皇子は、「命がけであの玉の枝を持って帰って来ました。姫にお見せ申し上げて下さい。」というので、翁は文の結び付けてあるその玉の枝をかぐや姫にお見せになる。


いたづらに身はなしつとも玉の枝を手折らでさらに帰らざらまし

≪この身はむなしく終わってしまったとしても、

玉の枝を手折らずに帰ってくることがあったでしょうか

――決してそのようなことはなかったでしょう≫



かぐや姫は思わず、玉の枝にもこの歌にも、しみじみと心うたれてじっと眺めやっている。と、翁も慌ててやって来て、「くらもちの皇子は、あなたのおっしゃった玉の枝を、旅装のまま寸分違わぬ姿でお持ちになりました。この上は一刻も早く妻としてお仕え申し上げなされませ。」という。姫は思いがけない事態に物も言わず、頬杖をつき、たいそう嘆かわしげにうち沈んでいる。

くらもちの皇子は「姫よ、今さら何を言うべきことがありましょうや。」と、ずうずうしく縁側まで這い登ってくる。翁も「ごもっともです。あなた様は、お人柄もたいそう優れていらっしゃいます。」などという。かぐや姫は「結婚しろという親のお言葉を、お断りし続けるのが気の毒ゆえ、あのような難題を持ちかけましたのに・・・」と言い、皇子にしてやられたと、いまいましく思っている。気の早い翁は、もう寝室の中を整え準備などをする。





次回に続きます。



参考文献
*『日本古典文学全集8 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』(小学館)
*『岩波古語辞典』(大野晋 佐竹昭広 前田金五郎 編)




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まーさん超訳『竹取物語』~石作の皇子と、仏の御石の鉢~

私事で恐縮ですが、昨日1月12日は、まーさんの誕生日でした^^

息子が選んでくれたフルーツケーキと、夫が買い求めてくれた夕食で、
ささやかなお祝いをしました。

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また一年、無事に生きてこられた―――
まーさんにとっての誕生日は、その事実にただひたすら感謝する日ともいえます。

ン十年前(笑)、難産により仮死状態で生まれてきたまーさんは、担当医師の懸命の処置で辛くも一命をとりとめました。その結果、今ここでこうして毎日を楽しく過ごし、家族と共に誕生日を祝い、皆様と当ブログを通じての交流をすることが出来ています。

一昨年大病を経験してからは、まーさんにとっての誕生日は、よりいっそう嬉しい記念日として認識されるようになりました。

多くの人やモノの力で生かされている自分を実感します。
とりわけ、当ブログを通じでお知り合いになれた皆様の、それぞれに人生を誠実に生きられているお姿や、時に寄せていただくコメントなどから、本当に毎日「今を生きる力」をいただいております。
ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
皆様にお会いできたことは、まーさんにとって人生の宝です。心より感謝申し上げます。そして、これからもどうぞよろしくお願い致します。

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息子の手作りネックレス。お誕生日プレゼント(笑)



              ◇



まーさん超訳『竹取物語』~石作の皇子と、仏の御石の鉢~

《あらすじ》
石作の皇子は、かぐや姫から「仏の御石の鉢を持参せよ」との難題を与えられた。彼は計算高い人だったので、天竺(インド)にも二つとない鉢を入手するのは到底困難と考え、ある策をめぐらせた。それは・・・かぐや姫に「今日、石の鉢を取りに天竺へまいります」と知らせた後、三年ほどしてから、大和の国(奈良県)の山寺より持参した煤で真っ黒の鉢を、美しい錦の袋に入れ造花に結び付け、姫に見せたのだった。姫が不審に思いつつ開けてみると、その鉢の中には皇子の手紙があった。広げると次のような歌が書かれてあった――




海山の道に心をつくしはてないしのはちの涙ながれき

≪つくし(築紫)を出てから、海山をたどる苦しい道のりに心を尽くし果て、

果てのない旅で泣きに泣き、鉢を取って来るために血の涙を流したことですよ≫


かぐや姫が、「(仏の御石の鉢にあるという)光はあるのかしら」と見ると、

その鉢には蛍ほどの光すらもない。

そこで姫は、




置く露の光をだにもやどさまし小倉の山にて何もとめけむ

≪せめてあなたが流した涙の露ほどの光でもあればと願いましたが、

この鉢はそれも留めておりません。あなたは大和の国の、光もなく暗い小倉山で、

一体何を求めていらっしゃったのでしょう≫


と言ってその鉢を出して返した。

石作の皇子は、鉢を門に捨てて、かぐや姫の歌に返歌をする。




白山にあへば光の失するかとはちを捨てても頼まるるかな

≪明るい白山から光る鉢を持ってきたつもりですが、

白山のように輝くかぐや姫にあったので、光が失われてしまったのかと、

鉢を捨ててもなお、恥を捨てて思わず知らず期待してしまうのですよ≫


と詠んで、姫の所に入れた。かぐや姫は呆れて返事もしなくなった。

耳にも聞き入れなかったので、皇子はぶつぶつと言い訳をしながら帰ってしまった。

あの偽物の鉢を捨ててもなお、厚かましく「頼まるるかな」などと言ったことから、

厚かましいことを、「はぢをすてる」と言うようになったとか――





次回に続きます。


参考文献
*『日本古典文学全集8 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』(小学館)
*『岩波古語辞典』(大野晋 佐竹昭広 前田金五郎 編)




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「鏡開き」と・・・

今日は鏡開きの日。

まーさん宅では、お餅をぜんざいにして頂きました。
甘い小豆とからみあって、とても美味しかったです^^

皆様のお宅ではどのようにして召し上がりましたか(^^)



『日本の七十二候を楽しむ―旧暦のある暮らし―』(文 白井明大 絵 有賀一広 東邦出版)を紐解きますと、一月十日~一月十四日頃を、七十二候では「水泉動く」と言いまして、この頃の旬の行事は「鏡開き」と掲載されています。


〇旬の行事:鏡開き
一月十一日は鏡開き。年神さまに供えたお下がりとして、木槌や手で鏡餅を割っていただきます。餅を食べると力持ちになるからと、もともとは武家の風習だったとか。何日も飾った餅は固くてなかなか割れませんが、お雑煮や磯部巻きにしたらやっぱりおいしい。




以前にもお伝えしましたが、まーさんは今年、「二十四節気七十候歳時記カレンダー」を購入いたしまして、ご不浄(若い人はご存じか?)の壁にかけ、毎日眺めております。とにかく読みごたえのあるカレンダーで、毎日毎時間退屈することがありません。今日の鏡開きも、ちゃんと十一日の欄に載っておりました。


ところで昨日のお話ですが、ウチのゆかいな息子さま、休みの前日なのをいいことに、夜更かしして「ダイ・ハード4.0」を観ていました(苦笑)。その時驚くべきことが起こったのです。
な、なんと、ブルース・ウィリスのド派手なアクションを観ながら彼は、「にじゅうしせっき、しちじゅうにこう~~~」とおかしなリズムをつけて歌っているのです。


ビックリしたまーさんは、
「え~~何それ!!どこで覚えたの~~??」
と言うと、息子はしれっとして、
「トイレでカレンダー見てたら、なんか面白いな~と思って覚えちゃった。」
と言いました。そして、
「あそこに載ってるハゲたおじさんの絵も面白~い!!」
と言うのです。
はあ? ハゲたおじさん?
そんな絵なかったけど・・・


あ、もしかして、カレンダーの表紙に載っていた昔の子供の絵(クリクリ坊主で、頭の中央だけちょこっと髪の毛を残している、「子連れ狼」の大五郎みたいな髪型の子)を見て、「ハゲたおじさん」て言ってるのか??


わはは~~~オモロイなあ(爆)
面白いからそのままにしておきたいけど、一応正しい知識を伝授せねばと思い、

「あれはねえ、おじさんじゃなくて昔の子供の絵なんだよ。昔の子はああやって、クリクリ坊主に剃っていたんだよ。」
と教えておきました。

「え~~そうなの?・・・昔はどうやって髪の毛剃ったの?」
って、そこなんかい(-_-;) 君の気になるところは・・・

「バリカンはなかったから、カミソリだよね。」
とか何とか、話題はカミソリの方へとシフトし、お坊さんの剃髪の話とか、どんどん話は横道へ逸れていったのでした(そう言えばこの時TVで観ていたブルース・ウィリスもスキンヘッド・・・でしたね(^▽^;))



ともかく「二十四節気七十二候歳時記カレンダー」
息子の心にもいつの間にか、刷り込まれているようです。
恐るべし、ご不浄の壁の威力、いや教育力(笑)




というわけで――
本日は、まーさん超訳『竹取物語』をお休みしまして、ちょっとした季節の話題(・・・なのか?)をお届けいたしました。



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まーさん超訳『竹取物語』~五人の求婚者②~

お正月、義父母の家に年始のご挨拶に伺った際、夫の従姉妹のことが話題になりました。彼女はまーさんと同年代で独身、仕事を持つ自立した女性です。

彼女について義父は言いました。
「今は仕事が充実しているからいいけど、定年退職したらどうするつもりなんだろうね。老後一人で暮らすのは寂しいよねえ。多分今は仕事が楽しくて、老後のことまで考えていないから、結婚しようという気も起きないんだろうけどね。」

この言葉を聞いてまーさんは、奇しくも今、超訳を施している竹取の翁の“ある言葉”を思い出しました(前回の部分です)。


翁はかぐや姫に、

「この世の人は、男は女にあふことをす。女は男にあふことをす。
その後なむ門広くもなりはべる。」

(人は皆結婚するのが道理です。そうしてこそ一族も繁栄するのです。)

「翁の在らむかぎりはかうてもいますがりなむかし。」
(この翁の生きているうちは独身でもいいでしょうが、その後は
どうなさるおつもりなのですか。)


と言います。それに対し姫は、

「なんでふ、さることかしはべらむ」
(どうして結婚しなければならないのでしょう、私には分かりません。)

と言うのです。


人間社会において、男女は結婚するのが習いであり、そうしてこそ一族の繁栄もあるのです、と道理を解く翁に対し、かぐや姫は「人として何を基準に生きるべきなのですか。世間的道理ですか、それとも自分の心の声ですか。」という、非常に根源的な問いを翁にぶつけます。

今でこそ男女共に、結婚するか独身でいるか、自由に選択できる時代となりました。しかし先の義従姉妹の話にもあるように、依然として「結婚するのが当たり前」「老後のためにも結婚しておくべき」という考えは、世間に根強く残っている気もします。特に女性に関しては「男と違って、良い夫を見つけて結婚すればいいのだから楽なものだ」という考え方が、未だに人々の口の端に上るのを耳にし、まーさんは心底驚いてしまうこともしばしばです(@_@)

もちろん生物学的には、種の繁栄という観点から、結婚・出産が必要不可欠であることは分かります。しかし現代においては、結婚形態も多様化し、必ずしも法的な結婚制度に縛られない男女の在り方(あるいは同性婚の在り方)も、徐々にではありますが(法的整備も含めて)前進の方向に向かいつつあります。また同様に、生涯独身を通す生き方も、個人の自由な選択肢として、現代では我々に当たり前のこととして開かれています。

それらを踏まえた上で、『竹取物語』の書かれた平安時代について考えてみますと、かの時代は一夫多妻制・通い婚――女性にとっての結婚は(和泉式部のように自由恋愛を謳歌した人もいましたが)、多くの身分ある女性にとって、孤独と寂寥感、あるいは表現し難いもどかしさを生み出す制度だったのではないかと、推察するのであります。


結婚とは一体何のためにあるのか――

種の繁栄のため
一族の繁栄のため(翁の考え)
老後を安泰に暮らすため(翁の考え)
女性を一種の所有物として扱うため(五人の求婚者の考え)
男女が様々な愛の形を確認し続けるため(後のかぐや姫の考え)

千年も昔の物語に、こうした今日的問題が既に指摘されているという事実に、まーさんは非常に深い驚きを覚えるのであります・・・


              ◇


まーさん超訳『竹取物語』~五人の求婚者②~


日が暮れるころ、五人の求婚者はいつものように集まった。

翁が出て来て言う。

「このように汚らしい我が家に、皆さまが長い間お通いになって下さることは、

この上もなく恐縮に存じます――

先ほど姫に『この翁の命は今日明日とも知れぬのだから、

このように結婚を申し出て下さる皆様方のことを考え、よく思いを

しっかり決めて、どなたかにお仕え申し上げなさい』と申しますと、

姫は『その通りですね。五人の公達はいづれも優劣がございませんので、

わたくしの見たいものを見せて下されば、それでご愛情の程度が分かるでしょう。

お仕えすることはそれによって決めたいと思います』と言うので、

わたくしも『それは良いお考えです。そうすれば皆様も、

お恨みごとなく決着をつけることができるでしょう』と言いました。」

五人の貴公子も、

「それでよかろう。」

と言うので、翁は御簾の中に入って、かぐや姫にその旨を伝える。

かぐや姫は言う。

「石作の皇子には、仏の御石の鉢というものがあります。

これを取ってきて見せて下さい。」

「くらもちの皇子には、東の海に蓬莱という山があると聞きます。

そこに、銀を根とし、金を茎とし、白玉を実として立っている木があります。

それを一枝折ってお持ち下さい。」

「阿部の右大臣には、唐土にある火鼠の皮衣を下さい。大伴の大納言には、

龍の頸に五色に光る玉があります、それを取って下さい。石上の中納言には、

燕の持っている子安貝を取って下さい。」

これを聞いて翁は、

「どれもこれも、お持ちするのが難しいもののようですねえ。

この国にあるものではないようですし・・・

このように難しいことをどうやってお伝えしたものか・・・」

と言う。しかしかぐや姫は、

「どうして難しいことがありましょうか。」

とにべもなく言う。だから翁は仕方なく、

「とにもかくにも、皆様に申し上げてみましょう。」

と言って出て来て、

「姫はこのように申しております。姫の申し上げたものをお見せ下さい。」

と申し上げる。これを聞いて五人の皇子たち・上達部(かんだちめ)は、

「いっそのこと、『この辺りを通り歩くことさえ止めて欲しい』

とおっしゃって下さったらいいのに・・・」

と言って、すっかり気をくじかれて、皆帰ってしまった。


しかしそれでも、五人の貴公子は、この姫と結婚しないでは

この世に生きていられない気持ちがするので、それぞれに姫の難題を解こうと、

必死になって画策するのであった。





次回に続きます。


参考文献
*『日本古典文学全集8 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』(小学館)
*『岩波古語辞典』(大野晋 佐竹昭広 前田金五郎 編)



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まーさん超訳『竹取物語』~五人の求婚者①~

今日は一月七日。春の七草をいただく日ですね。

まーさんは今朝、七草粥を作りました。
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せり
なずな
ごぎょう
はこべら
ほとけのざ
すずな
すずしろ


仄かに漂う青草の香りに、春の気配を感じた朝でした。


                 ◇


それでは超訳『竹取物語』にまいりたいと思います。




まーさん超訳『竹取物語』~五人の求婚者①~



その後も、多くの貴公子達がかぐや姫の家を離れず、そこで夜を明かし日を暮した。

しかし何の音沙汰もないまま過ぎゆく日々に、それほど熱心でなかった者達は、

「これ以上、無駄なことをしても仕方がない・・・」

と言って、やがて姫の家に足を向けなくなっていった。


そんな中、変わることなく結婚を申し入れる者達がいた。

世で“色好み”と言われていた五人の貴公子である。

彼らの姫を想う気持ちは止むことなく、昼夜を問わず姫の元に通い続けた。

その五人の名前は、


石作りの皇子(いしつくりのみこ)

くらもちの皇子(くらもちのみこ)

右大臣阿部御主人(うだいじんあべのみうし)

大納言大伴御行(だいなごんおおとものみゆき)

中納言石上麿足(ちゅうなごんいそのかみのまろたり)


であった。



この方々は、世にいくらでもいる程度の女でさえ、少しでも容貌が優れている

と聞けば自分の妻としたがるような人々だったので、

ましてやかぐや姫ほどの人ならば、どうしても妻にしたいと思い、

物も食べず思い焦がれ、姫の家に行ってはたたずみ歩く。

しかし、どうにも効果はない。恋文を書いて送るのだが、返事も全くない。

苦しい心の内を和歌にして送るけれども、何の効果もなく、

徒労に終わると分かっていながら、十一月・十二月の雪が降り氷が張る時にも、

六月の厳しい太陽や雷の轟く日にも、変わることなく姫の家を訪れたのであった。



この貴公子達は、姫の元にやって来ては翁を呼び出し、

「どうかあなたの娘をわたくしに下さい」

と伏し拝み、手をすり合わせてお願いする。しかし翁は、

「姫は、わたくしの実の子ではないので、残念ながら

わたくしの心のままにはならないのです。」

と言って、そのまま月日は流れていった。

このような有様なので、貴公子達は家に帰っても物思いにふけり、

姫を手に入れられるよう神仏に一心に祈り、願いをかける。

姫への想いは、全くもって尽きることがない。

「翁はあんな風に言っていたが、だからといって一生結婚させない

ということがあろうか、いやそんなことはなかろう。」

と思い、そこに一縷の望みをかけている。そして、わざとらしく、

姫への想いを見せつけるように、家の周りを歩きまわるのだった。



このような五人の様子を見て翁は、かぐや姫とこんな話をした。

「わたくしの大事なかぐや姫、あなたは神仏が下された変化(へんげ)の人

ではありますが、こんなに大きくなるまでお育てしたわたくしの気持ちは、

並大抵のものではございません。ですから、この翁の申し上げることを、

どうかお聞き届けになっては下さいませんか。」

「どんなことでも、おっしゃることを承らないことがありましょうか。

変化のものでありますこの身をわきまえず、あなた様を

本当の親と思い申し上げておりますのに。」

「嬉しいことをおっしゃるものですなあ・・・

この翁は、年も七十歳を過ぎてしまいました。

ですから、今日明日とも分からぬ命です。

そしてこの世の人は皆、男は女と結婚し、女は男と結婚する習いです。

それでこそ一族も繁栄するのです。

人として、どうして結婚しないでいてよいことがありましょうか。」

「・・・なぜ、結婚せねばならないのでしょう。私には分かりません。」

「いくら変化の人とは申せ、あなたは女の身を持っていらっしゃいます。

この翁が生きている間は、独身のままでもいられるでしょう。

しかしその後はどうなさるおつもりですか。今こちらにおいでになっている

五人の貴公子が、長い間心を変えることなく姫の元へ通い続けていることを

よくお考えになり、その中のお一人と、どうかご結婚申し上げて下さい。」

「わたくしは、特別容貌が美しいというわけではありません。

だから、相手の方の愛情の深さも分からぬまま結婚し、

後ででその方が浮気心を起こしたならば、きっと後悔するだろうという、

ただそれだけなのです。世間では素晴らしいとされている人であっても、

愛情の深さを確認すること無しには、結婚することは難しいと思っております。」

「姫よ、あなたはわたくしと同じことを思っておいでなのですね――しかし一体、

どのような愛情をお持ちの方と、ご結婚なさりたいのですか。

五人の方々は、どなたも非常に愛情の深い方とお見受けいたしますのに。」

「どれ程の深い愛情を見ようというのでもありません。ほんの少しのことなのです。

五人の方々の愛情は、どなたも同じくらいのようにお見受けいたします。

ですからこの中で、愛情の優劣を量ることは難しく思われます。

そこでわたくしは、五人の中で、わたくしの見たいものをお見せ下さった方に、

ご愛情が優っているとしてお仕え申し上げたいと思います。

このことを、その、そこにいらっしゃる方々に申し上げて下さい。」

「良いお考えです。さっそくお伝えしましょう。」


こうして翁は、かぐや姫の申し出を、五人の貴公子に伝えることとなった。





「女性の結婚」について、中々に深い問題を突き付けてくる『竹取物語』。
翁、かぐや姫、五人の貴公子――
それぞれの思惑は、今後どう集結していくのでしょうか。

次回に続きます。



参考文献
*『日本古典文学全集8 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』(小学館)
*『岩波古語辞典』(大野晋 佐竹昭広 前田金五郎 編)



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新年のご挨拶

明けましておめでとうございます


穏やかな元旦の今日、皆様いかがお過ごしになられましたか。

昨年6月より、まーさんは当ブログをスタートさせ、
沢山の素敵な皆様との出会いの機会を得て、
本当に充実した一年を送らせていただきました。
心から感謝の気持ちでいっぱいです。

日本文化について様々な視点から綴ってみたい
というコンセプトで始めました「ゆ~る・じゃぱん」
皆さまの応援のお蔭をもちまして、
ここまで楽しく続けてまいることができました。
ありがとうございました!!

本年も、更新頻度は低いかもしれませんが(汗)、
日常生活に漂う日本文化についてご紹介し、
我々が日本人として世界に発信するべきものは何なのかを、
硬軟(軟軟??)取り混ぜつつ
考察していきたいと考えております。

もしお時間がありましたら、
今年も当ブロクを時々覗いていただければ、幸いです^^

それでは皆様、
2014年が皆様にとりまして、実り多い幸せな一年となりますよう、
心よりご祈念申し上げます。

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今日の夕焼け。映画の帰り道・・・


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プロフィール

まーさん

Author:まーさん
息子と夫と私、考え方も行動もてんでバラバラな3人で暮らしています(笑)でも仲良しです。
音楽、映画、読書が好き。芸術鑑賞、外国語、旅行も好きです。ゆ~る・じゃぱんでは、日本大好きまーさんが暮らしのに漂う日本の香り・日本文化をゆる~く綴っていきます。

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