自分の歌を歌う~岡本太郎『強く生きる言葉』~
前回の記事に載せました紫陽花は、一週間後このようになっておりました。



五月ももうすぐ終わりですね。あと少しで梅雨の始まりです。
◇
当ブログでもしばしばご紹介している通り、
まーさんと息子は毎週火曜日と金曜日の夜、
「21か国語で話そう」クラブに参加しております。
(カテゴリ「国際感覚」に関連記事がいくつかあります。
よろしければご覧ください^^)
先日火曜日のクラブにて――
まーさんはまたもや、
”自分自身”についてのとんでもない大発見を
してしまいました!
それは。
「本来のまーさんは、
人見知りで、話すのが苦手で、おまけに気弱である。」
という事実。
何だそんなことか、ですよね、皆様にとっては(苦笑)
しかし私には天地がひっくり返るほどの発見!
(正確には再発見)だったのです。
なぜこの事実に気づいたかと言いますと、
クラブの時間中、まーさんが
「ことばとは何か。」
「クラブの意義とは何か。」
「多言語を話すとは何か。」
についてスピーチする時間をいただき、
それに対してメンバーからの意見をもらっていたのですが、
その時あるメンバーが、
「○○ちゃん(まーさん)て、こういうスピーチはするけど
ほかの人とのラフな会話は、あんまりしないよね。」
といったのです。
(つまりそこには「もう少し人と打ち解けて話したらどうか」
という意図も含まれていると思うのですが・・・)
その時まーさんは、ひらめくようにハタと気が付きました。
「そうか。本来の私は人見知りなのだ。
そして、人と話をするのが苦手で、とっても気弱な人間なのだ――」
子供時代はずっとクラス委員長を務め、
大人になってからは「人前で話す」仕事をしてきたまーさん。
その自分が「人見知りで、話が苦手で、気弱・・・?」
そんな馬鹿な・・・
しかし、メンバーに言われた一言で、それは紛れもない事実であり、
それこそが「今まで封印してきた本来の自分」であることに、
まるで悟りを開いたようにポッと気が付いたのです。
もちろん今までも、
「自分は何となく引っ込み思案で、人と話すのはドキドキするなあ。」
と、漠然とは思ってました。
しかし、幼少の頃から
「常にリーダーとして積極的に行動せよ!」
「誰とでも打ち解けて話せ!」
「人に弱みを見せてはならない!」
と家庭(や世間の常識)で強く刷り込まれた結果、
そういう強い人間になろう・ならねばと思い込み、
本来のよわよわした自分を心の奥底に封印してきたのでした。
とはいえ「封印してきたと思った本来の自分」は、
やはり他人から見れば
どこかオーラとして言葉や態度の端々に
にじみ出ているものなのでしょうね。
だからこそクラブのメンバーに
「あなたは、ほかの人とあんまりラフに話さないよね。」
と指摘されたのでしょう。
そうか。まーさんて、自分の思ってるまーさんと真逆の人だったのだ!
これはものすごく新鮮な驚きでした。
「他人から指摘されて自分を知る――」
存外人間は、自分のことを正確に把握していないものなのですね。
そして思いました。
まーさんはこれを機に
「封印されていた可哀想な自分」を救い出し、
遅ればせながら、本来の自分に戻ってみよう、と。
世間的には「人見知り」「話すのが苦手」「気弱」は、
どちらかというとマイナスイメージで通っていると思います。
そして私自身も、家庭教育及び社会的刷り込みによって、
そのような在り方は良くない、と思い込んでおりました。
しかし、そんな既成概念はぶち破ってやればいいのです!
「本来の自分、全開で生きること。」
これが真に自分を偽らない生の在り方、といえましょう。
もちろんこれには、相当の勇気とパワーが必要になります。
水の如く“Natural”な生の在り方、
評価を越えた唯一無二の個の在り方を貫くのは
並み大抵の事ではありません。
そんなことを思っている時に取り出したのが、この本――
岡本太郎 著『強く生きる言葉』(イースト・プレス)です。
ぱらぱらと、最初から最後まで再読し、
やはり岡本太郎氏は、半端ないと思いました。
みなぎるエネルギー。生と死のはざまで繰り広げられる孤独な戦い。
カッコよすぎます。シビレます。ホレます。
そして、勇気づけられます。
少しだけ本書から引用してみたいと思います。
「こんなに弱い、なら弱いまま、
ありのままで進めば勇気が出て来るじゃないか。
もっと平気で、自分自身と対決するんだよ。」
「カッコよく生きようとするのは自分自身に甘えているにすぎない。
カッコウにとらわれそうになったら、自分を叩きつぶしてやれ。」
「他人が笑おうがが笑うまいが自分で自分の歌を歌えばいいんだよ。
歌に限らず他人の判断ばかりを気にしていては
本当の人間としての責任がもてない。
もし自分がヘマだったら、”ああ、おれはヘマだな”と思えばいい。
もし弱い人間だったら”ああ弱いんだなあ”でいいじゃないか。」
「生活にはさまざまの条件がある。
ある程度それに順応しながら、
一方では純粋に孤独に己をつらぬくことができる。
相対的と絶対的の矛盾のなかに、
己をいかしてゆくのがほんとうの人間だよ。」
「孤独感にたじろいじゃって、逃避してしまっている。
ごまかしてしまっているところに虚しさがあるんで、
逃げない、ごまかさないで、積極的に孤独をつらぬけば、
逆に人間的にひらいて、みんなと一体になることができる。」
「眼の前にはいつも、なんにもない。
ただ前に向かって身心をぶつけて挑む、瞬間、瞬間があるだけ。」
「面白いねえ、実に。オレの人生は。だって、道がないんだ。
だからぼくは、“本職は人間だ”と答えてやるんだ。」
迷える若者、覇気を失った中高年(まーさんです・・汗)、
逆にますますお元気な老年の方々、
あらゆる人々の心にエネルギーを注いでくれる一冊と思います。
まーさんはこれから、もう一度本書を読みます。
“本職は人間だ”
心の底から、こう言い切ってみたいです。
”芸術は爆発だ”(岡本太郎)
↓●~*↓

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五月ももうすぐ終わりですね。あと少しで梅雨の始まりです。
◇
当ブログでもしばしばご紹介している通り、
まーさんと息子は毎週火曜日と金曜日の夜、
「21か国語で話そう」クラブに参加しております。
(カテゴリ「国際感覚」に関連記事がいくつかあります。
よろしければご覧ください^^)
先日火曜日のクラブにて――
まーさんはまたもや、
”自分自身”についてのとんでもない大発見を
してしまいました!
それは。
「本来のまーさんは、
人見知りで、話すのが苦手で、おまけに気弱である。」
という事実。
何だそんなことか、ですよね、皆様にとっては(苦笑)
しかし私には天地がひっくり返るほどの発見!
(正確には再発見)だったのです。
なぜこの事実に気づいたかと言いますと、
クラブの時間中、まーさんが
「ことばとは何か。」
「クラブの意義とは何か。」
「多言語を話すとは何か。」
についてスピーチする時間をいただき、
それに対してメンバーからの意見をもらっていたのですが、
その時あるメンバーが、
「○○ちゃん(まーさん)て、こういうスピーチはするけど
ほかの人とのラフな会話は、あんまりしないよね。」
といったのです。
(つまりそこには「もう少し人と打ち解けて話したらどうか」
という意図も含まれていると思うのですが・・・)
その時まーさんは、ひらめくようにハタと気が付きました。
「そうか。本来の私は人見知りなのだ。
そして、人と話をするのが苦手で、とっても気弱な人間なのだ――」
子供時代はずっとクラス委員長を務め、
大人になってからは「人前で話す」仕事をしてきたまーさん。
その自分が「人見知りで、話が苦手で、気弱・・・?」
そんな馬鹿な・・・
しかし、メンバーに言われた一言で、それは紛れもない事実であり、
それこそが「今まで封印してきた本来の自分」であることに、
まるで悟りを開いたようにポッと気が付いたのです。
もちろん今までも、
「自分は何となく引っ込み思案で、人と話すのはドキドキするなあ。」
と、漠然とは思ってました。
しかし、幼少の頃から
「常にリーダーとして積極的に行動せよ!」
「誰とでも打ち解けて話せ!」
「人に弱みを見せてはならない!」
と家庭(や世間の常識)で強く刷り込まれた結果、
そういう強い人間になろう・ならねばと思い込み、
本来のよわよわした自分を心の奥底に封印してきたのでした。
とはいえ「封印してきたと思った本来の自分」は、
やはり他人から見れば
どこかオーラとして言葉や態度の端々に
にじみ出ているものなのでしょうね。
だからこそクラブのメンバーに
「あなたは、ほかの人とあんまりラフに話さないよね。」
と指摘されたのでしょう。
そうか。まーさんて、自分の思ってるまーさんと真逆の人だったのだ!
これはものすごく新鮮な驚きでした。
「他人から指摘されて自分を知る――」
存外人間は、自分のことを正確に把握していないものなのですね。
そして思いました。
まーさんはこれを機に
「封印されていた可哀想な自分」を救い出し、
遅ればせながら、本来の自分に戻ってみよう、と。
世間的には「人見知り」「話すのが苦手」「気弱」は、
どちらかというとマイナスイメージで通っていると思います。
そして私自身も、家庭教育及び社会的刷り込みによって、
そのような在り方は良くない、と思い込んでおりました。
しかし、そんな既成概念はぶち破ってやればいいのです!
「本来の自分、全開で生きること。」
これが真に自分を偽らない生の在り方、といえましょう。
もちろんこれには、相当の勇気とパワーが必要になります。
水の如く“Natural”な生の在り方、
評価を越えた唯一無二の個の在り方を貫くのは
並み大抵の事ではありません。
そんなことを思っている時に取り出したのが、この本――
岡本太郎 著『強く生きる言葉』(イースト・プレス)です。
![]() | 強く生きる言葉 (2013/11/25) 岡本太郎 商品詳細を見る |
ぱらぱらと、最初から最後まで再読し、
やはり岡本太郎氏は、半端ないと思いました。
みなぎるエネルギー。生と死のはざまで繰り広げられる孤独な戦い。
カッコよすぎます。シビレます。ホレます。
そして、勇気づけられます。
少しだけ本書から引用してみたいと思います。
「こんなに弱い、なら弱いまま、
ありのままで進めば勇気が出て来るじゃないか。
もっと平気で、自分自身と対決するんだよ。」
「カッコよく生きようとするのは自分自身に甘えているにすぎない。
カッコウにとらわれそうになったら、自分を叩きつぶしてやれ。」
「他人が笑おうがが笑うまいが自分で自分の歌を歌えばいいんだよ。
歌に限らず他人の判断ばかりを気にしていては
本当の人間としての責任がもてない。
もし自分がヘマだったら、”ああ、おれはヘマだな”と思えばいい。
もし弱い人間だったら”ああ弱いんだなあ”でいいじゃないか。」
「生活にはさまざまの条件がある。
ある程度それに順応しながら、
一方では純粋に孤独に己をつらぬくことができる。
相対的と絶対的の矛盾のなかに、
己をいかしてゆくのがほんとうの人間だよ。」
「孤独感にたじろいじゃって、逃避してしまっている。
ごまかしてしまっているところに虚しさがあるんで、
逃げない、ごまかさないで、積極的に孤独をつらぬけば、
逆に人間的にひらいて、みんなと一体になることができる。」
「眼の前にはいつも、なんにもない。
ただ前に向かって身心をぶつけて挑む、瞬間、瞬間があるだけ。」
「面白いねえ、実に。オレの人生は。だって、道がないんだ。
だからぼくは、“本職は人間だ”と答えてやるんだ。」
迷える若者、覇気を失った中高年(まーさんです・・汗)、
逆にますますお元気な老年の方々、
あらゆる人々の心にエネルギーを注いでくれる一冊と思います。
まーさんはこれから、もう一度本書を読みます。
“本職は人間だ”
心の底から、こう言い切ってみたいです。
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