「彼岸入り」に思うこと
今日は「彼岸入り」
お店には、仏花やおはぎが並び、
秋の到来を感じさせます。
ところで、彼岸といえば彼岸花。
彼岸花は「赤色」というイメージがありますが、
実は「白」や「黄色」の彼岸花もあるということを、
皆さまご存じだったでしょうか。
まーさんにそのことを教えて下さったのは、
かつてブログ上で仲良くさせていただいた
若いお嬢さん、Kさんでした。
昨年の今頃、まーさんは当ブログで
彼岸花にまつわる記事を書きました。
その折、先ほど申しましたKさんが、
いつものようにコメントを寄せて下さいました。
そこには
「あまり見かけませんが、
白や黄色の彼岸花を見つけることができると、
少しうれしくなりますv」
とのお言葉がありました。
ここで初めてまーさんは、
赤色以外の彼岸花があるという事実を知ったのです。
で先日のこと。買い物途中の道すがら、
思いがけず黄色い彼岸花を見かけた時、
ハッとしてKさんのことを思い出しました――

また昨年の同時期、
今年は残念ながら「無月」となった「中秋の名月」、
そして「重陽の節句」の記事にも、
同様にKさんから素敵なコメントをいただきました。
今年の「重陽の節句」、
まーさん宅では昨年同様、栗ごはんを用意しましたが、
その時も、ふとKさんのことを思い出しました。
彼女の昨年のコメントは、
「私も今日は、栗ごはんとサンマを焼いたものを
作ってみました。季節を感じる食卓でいたいのですv」
というものでした。



Kさんは20歳の女子大生。
かつてのまーさんと同じく文学部に在籍し、
専門分野も何とまーさん同様「平安時代前期」
とのことでした。
優しく可愛らしく、
透き通るように美しい心を持ったお嬢さんで、
読書や音楽、お料理が大好きでした。
世の中に、こんな絵のような女性がいるのかと驚きつつ、
年齢の差を越えてとても親しく
交流をさせていただいておりました。
しかし今年の初め、幼い頃からの持病が悪化し、
残念ながら幽明境を異にされました。
まーさんはこの訃報にしばらく放心状態となり、
冷風が胸の内を通り過ぎるのを、
ただひたすら耐える毎日を送りました。
ですが――
Kさんは今もこうして
まーさんの心の中に生き続けています。
そして折に触れ、温かい思い出と共に
ワタクシの目の前に姿を現して下さいます。
一昨日、夫の身内に不幸があり
通夜に参列いたしましたが、
その際導師の僧侶が「どうか故人のことを忘れず、
いつまでも話題にしてあげて下さい。」
とおっしゃいました。
「それが故人のためになる」のだと――
ですがまーさんはこう思います。
亡くなった方を思い出すことは、
実は故人のためというよりも、
生きている人の「心の処方箋」
のようなものではないかと。
勿論本当に近しい人が亡くなった際、
その方との思い出は
むしろ針のように胸に突き刺さり、
「処方箋」どころか「毒薬」のように
心身を痛めつけるものとなることは確かです。
しかし、時の経過と共に思い出は、
自らと故人とを永遠に結ぶ架け橋となり、
肉体は消えてもその姿を色褪せることなく、
生きている人の心の内に
まざまざと蘇らせてくれるものなのであります。
人はこのようにして、
人の心の内に永遠に生き続けるのだと、
今しみじみと深く感じ入っております・・・
「彼岸入り」の今日、
清らかで美しかったKさんを偲びつつ、
奇跡的な偶然によって彼女と出会えたこと、
そして今もまーさんの胸の中に
彼女が生き続けていることを心の底から感謝しつつ、
改めてご冥福をお祈りしたいと思います。
ふと蘇る思い出・・皆様にはどのような思い出が。
↓☆彡↓

にほんブログ村

お店には、仏花やおはぎが並び、
秋の到来を感じさせます。
ところで、彼岸といえば彼岸花。
彼岸花は「赤色」というイメージがありますが、
実は「白」や「黄色」の彼岸花もあるということを、
皆さまご存じだったでしょうか。
まーさんにそのことを教えて下さったのは、
かつてブログ上で仲良くさせていただいた
若いお嬢さん、Kさんでした。
昨年の今頃、まーさんは当ブログで
彼岸花にまつわる記事を書きました。
その折、先ほど申しましたKさんが、
いつものようにコメントを寄せて下さいました。
そこには
「あまり見かけませんが、
白や黄色の彼岸花を見つけることができると、
少しうれしくなりますv」
とのお言葉がありました。
ここで初めてまーさんは、
赤色以外の彼岸花があるという事実を知ったのです。
で先日のこと。買い物途中の道すがら、
思いがけず黄色い彼岸花を見かけた時、
ハッとしてKさんのことを思い出しました――

また昨年の同時期、
今年は残念ながら「無月」となった「中秋の名月」、
そして「重陽の節句」の記事にも、
同様にKさんから素敵なコメントをいただきました。
今年の「重陽の節句」、
まーさん宅では昨年同様、栗ごはんを用意しましたが、
その時も、ふとKさんのことを思い出しました。
彼女の昨年のコメントは、
「私も今日は、栗ごはんとサンマを焼いたものを
作ってみました。季節を感じる食卓でいたいのですv」
というものでした。



Kさんは20歳の女子大生。
かつてのまーさんと同じく文学部に在籍し、
専門分野も何とまーさん同様「平安時代前期」
とのことでした。
優しく可愛らしく、
透き通るように美しい心を持ったお嬢さんで、
読書や音楽、お料理が大好きでした。
世の中に、こんな絵のような女性がいるのかと驚きつつ、
年齢の差を越えてとても親しく
交流をさせていただいておりました。
しかし今年の初め、幼い頃からの持病が悪化し、
残念ながら幽明境を異にされました。
まーさんはこの訃報にしばらく放心状態となり、
冷風が胸の内を通り過ぎるのを、
ただひたすら耐える毎日を送りました。
ですが――
Kさんは今もこうして
まーさんの心の中に生き続けています。
そして折に触れ、温かい思い出と共に
ワタクシの目の前に姿を現して下さいます。
一昨日、夫の身内に不幸があり
通夜に参列いたしましたが、
その際導師の僧侶が「どうか故人のことを忘れず、
いつまでも話題にしてあげて下さい。」
とおっしゃいました。
「それが故人のためになる」のだと――
ですがまーさんはこう思います。
亡くなった方を思い出すことは、
実は故人のためというよりも、
生きている人の「心の処方箋」
のようなものではないかと。
勿論本当に近しい人が亡くなった際、
その方との思い出は
むしろ針のように胸に突き刺さり、
「処方箋」どころか「毒薬」のように
心身を痛めつけるものとなることは確かです。
しかし、時の経過と共に思い出は、
自らと故人とを永遠に結ぶ架け橋となり、
肉体は消えてもその姿を色褪せることなく、
生きている人の心の内に
まざまざと蘇らせてくれるものなのであります。
人はこのようにして、
人の心の内に永遠に生き続けるのだと、
今しみじみと深く感じ入っております・・・
「彼岸入り」の今日、
清らかで美しかったKさんを偲びつつ、
奇跡的な偶然によって彼女と出会えたこと、
そして今もまーさんの胸の中に
彼女が生き続けていることを心の底から感謝しつつ、
改めてご冥福をお祈りしたいと思います。
ふと蘇る思い出・・皆様にはどのような思い出が。
↓☆彡↓

にほんブログ村

- 関連記事
-
- 七草と『七十二候カレンダー』
- 秋の終わり
- 「彼岸入り」に思うこと
- 季節を先取り
- 節分―驚きの恵方巻き!―
スポンサーサイト