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天狗山~不思議な声~

一昨日、山梨県は身延山のふもとにある、天狗山に行ってきました。

このお山のことは、当ブログで何度かご紹介しておりますが、
義母の家で代々信仰している、日蓮宗のお天狗様
「妙法両大善神」様がいらっしゃるお山です。

義母と夫はこの神様を篤く信仰しておりますので、
年に三回ほど、義母を含めた4人で
こちらのお山にお参りをすることにしています。




この日はお天気も良く、風もなく、
絶好のお出掛け日和でした。
年末の日曜日ということもあり、
高速道路はものすごく空いていました。
なので、いつもは談合坂SAで休憩をとるのですが、
一昨日は初めて双葉SAまで車を進め、
そこで早めの昼食をとりました。

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富士山が見えました。キレイに撮れなくてごめんなさい・・(^^ゞ

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冬の木立

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黄色い実がまぶしい




SAを出ると、そのまま天狗山へ向かいました。
途中、お供えするお酒を買いお山に到着。

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二つ目の鳥居。雰囲気があります…

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かなりの急こう配を登ると、本堂が見えてきます。

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上からの眺め。富士川と山々。




本堂に着くと、まず中を掃き清め、ろうそくに火をともして線香をたき、
お供え(今回はお正月前なので鏡餅も)をしてから、お祈りをします。

奥の間に上がる手前には、お参りの人々が座る畳の間があり、
そこに大太鼓が二つ、木柾(もくしょう。日蓮宗の木魚)が二つ、
大きな鈴が一つ置いてあります。
義母は、子供の頃からの習わしで、
ここに来るとまず大太鼓を独特のリズムでたたきながら、
お題目を唱えます。

まーさんも一緒にお題目を唱えます。
義母はこのとき必ず、胸が詰まったようになり
涙が出て来るそうです。
まーさんはいつも、額の辺りがムズムズし、
身体が揺れるような感覚を覚えます。

いつしか義母のお題目は止み、
太鼓の音だけが本堂に響き渡ります。
そして今度は一人一人、奥の間にて
お天狗様にお祈りをいたします。

すると・・・
太鼓を叩き終えて奥の間に行った義母に、
息子が何やらコソコソと話しかけています。
どうやら、
「さっき太鼓を叩いてるとき、あーちゃん(義母のこと)じゃない声が聞こえた――」
と言っているようです。
義母のお題目が止んだ後、
座っていたまーさんの後ろの辺りから、
同じように唸るようなお題目の声が聞こえたそうです。

義母は、
「子どもにはそういう声が聞こえるんだね。
きっと、おばあちゃん(息子にとっては曾祖母)が来てたんだよ」
と申しておりました。
このおばあちゃんは、100歳を超えるまで長生きされ、
何と、お天狗様の声を聞いたり、姿を見たりできる、
不思議な力を持った方だったようです。
近隣の人々はみな、
このおばあちゃんを介してお天狗様にお伺いを立て、
彼女の口からそのお告げを聞いていた、とのことです。

天狗山を管理しているお寺の、先代のお上人様は、
亡くなったおばあちゃんの(あの世からの)声を聞くことができたそうで、
それによると今彼女は、こちらのお天狗様の下で
眷属のように働いているとのことでした。




まーさんは皆の一番最後に、奥の間にてお祈りをいたしました。
いつものように感謝の気持ちと、家族の幸せ・地球の幸せを願っていると、
急に泣きたくなって涙がこぼれました。これもいつものことです。

そしてお祈りの途中、後ろで”バチバチッ”と音がしたので振り返ってみると、
すぐ後ろのろうそくの火が、一本だけ異様にすうっと高く伸び、
その火が切れ切れになって、バチバチと音を立てているのでした。
義母は、
「お天狗さんが”来ている”ことを知らせてくれてるんだよ」
と言っていましたが、
息子の聞いた声といい、ろうそくの音といい、
何とも不思議なことがあるものです・・・

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本堂に下げられた提灯。
昔このお山は、信者の方々で大変な賑わいを見せていたそうです。
その頃彼らが奉納した提灯が、今もなお天上から沢山ぶらさがっています。






お山を下りるころには、少し肌寒くなっていました。
この後は、先ほど申しましたおばあちゃんのお墓をお参りし、
ドライブインや甲府駅でお土産を買って、
家へと向かいました。
帰りの高速道路もとても空いていて、
渋滞もなく快適な一日でした。




また来年、初夏の頃になるでしょうか、
こちらのお山に参拝したいと思います。
今はごく少数の人々によって守られている天狗山ですが、
本当にすがすがしい空気に満ちた、パワースポットです。
このような所に思いがけず来ることが出来るのも、
ひとえに、今の家族との”縁”があったればこそです。
このご縁、人とのつながりの不思議に、ただただ感謝です^^






             ◇






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ところで。
昨日は冬至でしたね。
柚子湯にカボチャの煮物。温かい夜のひととき。






天狗山がちょっと気になった方は、ポチッと(笑)
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「放てば手に満てり」道元禅師

『お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺』
(テレビ朝日 月曜24:15~24:45)
という番組があります。

司会は「爆笑問題」太田光・田中裕二の2人。
ゲストは毎回、若い女性芸能人が1人。
そして、それぞれ宗派の違う
現役のお坊さん5人が登場します。





内容はと申しますと・・・

葬式や各種祈願、初詣等で、
我々一般人にも身近な存在であるお寺。
しかし、そこに暮らすお坊さんたちの
修行の様子や実生活については、
我々一般人はほとんど知ることがない。
そこで番組では、
“知られざるお坊さんの生態?”を、
5人の僧侶が「ぶっちゃける」


という、何とも異色のバラエティでございます(笑)






かく言うまーさんは10代の頃、
この本を読み、本気で出家を考えたという
ちょっとした仏教オタクですので(^^ゞ
『お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺』
は、興味津々で毎週欠かさず観ている、
という次第です(笑)

土を喰ふ日々―わが精進十二ケ月土を喰ふ日々―わが精進十二ケ月
(1978/12)
水上 勉

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因みに同じく10代の頃
こんな本も流行っておりまして、
やっぱりすごく影響を受けました。
懐かしい思い出です。
(表紙はこんなですが、お坊さんマンガです)

ファンシィダンス (1) (小学館文庫)ファンシィダンス (1) (小学館文庫)
(1999/10)
岡野 玲子

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ところで先週12月13日(土)の夕方ですが、
この『お坊さんバラエティ』SPが放映されました。

番組の内容は
「お坊さんと行く路線バス途中下車でお寺ぶらり旅」
「お坊さんに面と向かって聞けない視聴者の質問」
など、いつもながらの面白い企画が満載でしたが・・・

その中で、
こう言っては何ですが(汗)
バラエティにおよそ似つかわしくなく(失礼)
まーさんの(そして恐らくスタジオの方々や視聴者の)
心をつかんだ“ある言葉”がありました。

それは、ゲストの小藪千豊
(大の仏教好きお笑い芸人、だそうです)
が番組の最後に、
「今までで一番心に響いた教えは?」と質問し、
それに答えた曹洞宗のお坊さんの一言です。


「放てば手に満てり」道元禅師


道元禅師は、言わずと知れた曹洞宗の開祖。
鎌倉時代を代表する禅僧であります。
“修証一等”“只管打坐”を唱え、
著作『正法眼蔵』は、
和辻哲郎やハイデッガーなどの
哲学者からも注目されていたとのことです。
(wikipediaより)

その禅師の言葉「放てば手に満てり」とは、
一体どのような意味を持つ言葉なのでしょうか。

これを紹介した曹洞宗のお坊さんは
以下のように解説していらっしゃいました。
(細部は覚えていないので、大体このような感じ
だったとご理解ください。)

手でつかめるものには限りがある。
お金然り、愛情然り――
そして握りしめればしめるほど、
そのものは手からすり抜けていく。
しかし手を開いて、掴んでいたものを解き放てば
無限のもので、手は満たされる。






いかがですか、皆さま。
スタジオの司会者・ゲストも
思わずうなっておりましたが、
これは本当に、常に心に留めおきたい言葉だと
まーさんは感じました。





人は常に何かに捉われ執着し、
それゆえに苦しみを抱えます。

お金
愛情
地位・名誉
生き方・信条
快楽
・・・・・

挙げればきりがありませんが、
こうした物(事)を得てそれを持続させたい、
何としても手放したくないとこだわり、
手をぎゅっと握りしめて頑なに守ろうとする。

すると、それを「得られないことの苦しみ」や
「喪失した時の恐れ」、あるいは「他者や世界への猜疑心」
等で心がいっぱいになってしまいます。
守ろうとすればするほど、そのモノからは遠ざかる・・・

ところがいったん手を開いて
自分が後生大事に抱えていたモノを解き放てば、
そこには大いなるものが満ち、
無限のもので手は一杯になる。





「手を放す」
いったい自分は今、
どれだけのモノに縛られているのか。
今、手放すべきものは何なのか。

手の内にあるものを守るために、
努力し
固執し
追いかけ
強制し
義務付け
自分を他者を
がんじがらめにする。

そんな執着ゆえの苦しみを全て捨てたら、
人の魂はどこまでも自由に、無限に
楽に、楽しく、駆け回ることが
出来るのではないか。





ただ解き放つ。

そして自らの心の内を
ただ観照する。

善悪のジャッジなく
ただ今の“そんな自分”を見つめ
静かな流れに身を任せる。

執着する自分をも
ただ「許す」。
その上で
てらいなく手を放す。





お坊さんの「ぶっちゃけトーク」から、
思わぬ良い言葉をいただいた
まーさんなのでした――




何も心配しなくて大丈夫・・なんですね
↓(*^^*)↓

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『和食の知られざる世界』 辻芳樹

『和食の知られざる世界』(辻芳樹 著)という本があります。
筆者辻氏は、皆さまご存じ「辻調理師専門学校」の校長にして、辻調グループの代表をされています。

和食の知られざる世界 (新潮新書)和食の知られざる世界 (新潮新書)
(2013/12/14)
辻 芳樹

商品詳細を見る


本書は以下のようなコンセプトで書かれております。

料理研究家として知られる辻静雄を父に持つ著者は、幼い頃から味覚の英才教育を受けてきた。そしていま、世界が賞賛する「和食」の未来に大きな希望と一抹の不安を抱いている。なぜ海外の一流シェフは和食に驚嘆したのか?料理を最高の状態で味わうコツとは?良い店はどこが違うのか?歴史的変遷から、海外の成功例や最先端の取り組みまで、世界の職を俯瞰的に見つめ続けてきた著者だからこそ書けた、和食の真実。(本書 表紙裏紹介文より)





以前当ブログにて、博多ラーメン「一風堂」がニューヨークに進出し、当地のスタイルに合わせた提供の仕方を工夫し、一人単価50ドルという、日本人にしてみれば破格の値段であるにもかかわらず、爆発的な人気を博している、という記事を書きました。その元ネタとなっているのが本書『和食の知られざる世界』であります。
だいぶ前に読了しておりましたが、なかなかご紹介する機会が得られず、今になった次第です。
12月5日に『ミシュランガイド東京2015』が発売されたというニュースを見て、ふと本書を思い出したので、今日はここに雑駁ながら感想を綴ってみたいと思います。





まず一言で申せば、本書は驚くべき密度と正確さで和食の過去・現在・未来を整理する共に、辻氏の和食への愛情と情熱・個人的研究の成果が余すところなく語られているという、近年稀にみる良書であります。





内容を皆さまにご紹介するにあたり、まずは大体の内容を知っていただくために、目次を列挙してみたいと思います。

序章  和食の驚くべき広がり
第一章 「カリフォルニアロール」は和食か?
第二章 和食はそもそもハイブリッドである
第三章 「美食コーチ」の必要性
第四章 和食の真髄が見える瞬間
第五章 ニューヨークで本格懐石を
あとがき


こんなことはまーさんにとっても滅多にないことですが、とにかく、どこか一部分を抜粋し重点的に論じることが不可能な本です。平易な中にも筆者の食に対する知識と思いが全体にちりばめられ、本そのものが、まるで一つの精巧な織物のように出来上がっているのです。





父親の方針で、12歳から27歳までイギリス・アメリカにて留学生活を送った氏は、子供の頃から「異文化の中の和食」を強く意識しつつ生きて来ました。

かつてイギリスにおいて、ステイ先のご夫婦に「魚の出汁」が全く受け入れてもらえなかった経験を持つ辻氏。しかし現在では辻調グループ代表として、日本人に違和感のない和食テイストが世界を席巻する現状を目の当たりにし、氏は「隔世の感を覚える」と述べておられます。





辻氏の論において、特に面白いと思った部分を以下に挙げます。

和食は次の三つの変化変容を遂げている
1.「ギミック(仕掛け)和食」
  70年代のカリフォルニアロールに代表される料理。
2.「ハイブリッド和食」
  フランス料理など、世界中の料理において間違いなく日本の
  料理文化・技術の影響を受けてそれを外国料理の文脈の中で
  表現することによって生まれた料理。
3・「プログレッシブ料理」
  異文化の中で、その民族が好む味や食感に会うような和食
  を作り出そうとする試み。
 

和食はそもそもハイブリッドである(和食の歴史的特性と変遷)。
・日本には、南北に細長い地理的特性によって生まれた、
 豊かな漁場そして豊かな郷土食、 「自然や季節」に対する
 独特の感性や美意識がある。
・古代においては大陸・巨大文明(中国)の影響を受けている。
・鎖国により和風文化が定着し、江戸という巨大マーケットの中で、
 寿司に代表されるファストフード専門料理が誕生した。
 その一方、別の流れで茶の湯と懐石料理という 
 オート・キュイジーヌが確立した。
・識字率の高さが料理書を生み、江戸時代の食文化を
 ハイレベルなものへと押し上げた。
・明治維新後、「和」対「洋」の概念が誕生した。


総合芸術としての料理を真に味わい、和食の審美眼を磨くために
必要なことは?
・「最高のものから経験する」こと。
・「考えながら食べる」こと(食材の状況、原価の予想、調理方法、
 味付け、サービスの状況とシステム、テーブルの配置、 
 お客の動線、インテリア等々)。
・自分を「無」にしてその料理に臨むこと。
・食事を共にする人を選ぶこと(喋りすぎない、ケンカしない、
 食に敬意を持っている)。
・食事会には6人以上で行かない(和食器は一組五客が基本であり、
 アラカルトで頼む店では6人以上では同じタイミングで料理を提供できない)。
・ここぞという店に出かける時は自分の体調を完璧にしておく。
・店をローテーションする。
・身近に和食のコーチを持つ。
・カウンター割烹において料理人にあれこれ質問する。


和食の真髄が見える店の紹介
・『草喰 なかひがし』
・『壬生』
・『亀谷良長』ブランド『サトミ・フジタbyカメヤ・ヨシナガ』


『ブラッシュストローク』の新たな試み。
ニューヨークの人気フランス料理店『ブーレイ』のオーナーと、
辻調グループとのコラボレーションによって実現した和食レス
トラン。まさに「プログレッシブ料理」を体現するべく挑戦を
続ける、「和」と「洋」の揺らぎの中に浮かび上がった本格懐石
の店である。






昨年12月、ユネスコの無形文化遺産に登録された和食ですが、その登録に向けて尽力されたのが、この本の著者・辻氏だそうです。
氏は本書のあとがきにおいて、次のように述べられています。

登録そのものを一過性のイベントで終わらせてはいけない。むしろ継続的な継承と発展のために、それぞれが出来ることをそれぞれの責任において荷っていく必要があるはずだ。多くの識者が指摘する通り、二十一世紀の最大の課題のひとつは食糧問題である。(中略)和食文化は確かに素晴らしい。ただ、それを支えている生産の現場が疲弊し、場合によっては消滅の危機にさらされている。この難問に「食文化」を支える私たちも立ち向かわなくてはいけないはずだ。





和食の歴史的背景をきちんと踏まえ、その上で「食のプロ」としてどう生きるべきか、どうしたいか――あくなき探求心を持って突き進む辻氏の姿に、まーさんは心から「本物」というもののすごさを実感いたしました。

ただ一つの事柄を深く掘り下げ追求する氏の生き様は、全くもって驚くべきことばかり。自分には到底真似のできない、雲の上の出来事であるとは感じましたが、それでも、ある種の勇気や生きる力をもらうことが出来た、貴重な読書体験でした。

もし機会がありましただ、ぜひ皆様にも、この「和食の今昔」を論じた本書を手に取っていただければと思います^^


和食の奥深さに思わずうなります・・・
因みに皆さま、今日の献立は??
↓(≧▽≦)↓

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謙遜の美学

日本には「謙遜の美徳」という言葉があります。
自らが一歩へりくだることで相手を立てるという、我が国独特の文化・精神的嗜好であります。




我々日本人は、幼い頃から両親や周囲の大人を通して、「謙遜」がよりよい人間関係構築に必要不可欠であることを、陰に陽に教えられて育ちます。


そのためでしょうか、我々の社会は長い間、一人目立ちを回避せんとする“横並び”意識や、“出る杭は打たれる”という暗黙の恐れに支配され、それはあらゆる世代のコミュニティ(学校・近所づきあい・職場etc)に深く浸透し、目に見えない縛りとして我々の心をがんじがらめにし続けて来ました。


しかし近年、そうした日本的「謙遜の美徳」(あるいはそこから派生した“横並び”意識)は、情報化社会とリンクするグローバル化の波によって相対化され、また地球規模で飽和状態を迎えつつある競争原理社会崩壊の波に乗って見直しが図られている――個人的にはそんな印象を持っておりました。


具体的には、「謙遜」はもはや美徳ではなくなり、
○他者と比べず、自己を絶対評価し、長所をアピールする。
○自己の長所短所を全て愛する。
○他者の長所短所をも全てありのままに認める。
こんな在り方が、徐々に我々のスタンダードとなりつつあると、一人合点しておりました。




ところが・・・

実は、そうではなかった、のですね~~(^^ゞ



というのも・・・
昨日、我が息子の小学校で、今学期最後の授業参観・懇談会があったのですが、その懇談会の際、例の「謙遜の美徳」が、未だ目に見えない形で我々の社会を支配している現実を、まーさんは目の当たりにしてしまったのでした~~(@_@)




昨日、授業参観後に行われた懇談会は、担任の先生が「先ほどの授業の感想と、普段のお子さんの様子を一人ひとりお聞かせください」と最初におっしゃったため、保護者は順番に、上記の事柄について思うことを語る、という形で始まりました。


まさに、この時です。
まーさんがいわく言いがたい驚きと違和感を覚えたのは。


いったいワタクシが何に驚き、違和感を覚えたかと申しますと。


それは――


何と、ほとんどすべて保護者が一様に、「我が子のダメな所」を次々と、当然のように語っていかれたことです(驚)


こ、これは一体どうしたことか??
む~~~(@_@)


・・・とにかく異様です、まーさんにとっては。
しかし・・・


改めて考え直してみると、それこそが従来の日本社会、の在り方なんですよね・・・

「謙遜」という名の「ダメ自慢(?)」

考えてみたらこんなのは、今までもママ友との間で幾度となく繰り広げられてきた光景でした(^^ゞ
これをおかしいと思ってしまうまーさんの方が、ある意味ズレているのかもしれません。


やはり伝統とは、良きにつけ悪しきにつけ、そう簡単には変わらないものであり、新しい潮流に快適さと開放感を覚える者にとっては、非常に息苦しさを感じるものなのでしょう。




ところで。
この懇談会で保護者の皆さんから挙がった「我が子のダメな所」。一体どんなものがあったのか、一例を申し上げますと・・・
(ウチの子は)
○授業中の姿勢が悪い。
○宿題に率先して取り組まない。
○自主学習に工夫が足りない。
○肝心なところでケアレスミスをする。
○字が汚い。漢字が書けない。
○忘れ物が多い。
う~むむむ(@_@)


やはりここには「謙遜の美徳」、即ち「我が子を一段低く言うことで周囲の皆さんを立てよう」という日本の伝統的思考が働いているように思います。
いや、もっとあけすけに言ってしまえば、「我が子を一段低く言わないと、”横並び“社会を良しとするママ友コミュニティから逸脱し、後でどんな陰口が待っているか知れたものではない」という恐怖感に、誰もが知らぬ間に支配されている、ということなのかもしれません。




では、かくいうまーさんはこの「ダメ自慢(?)」の中で、いかなる発言をしたのか。


それは――
我が息子を――
臆面もなく「褒めて」しまったのでした~~(爆爆爆)


例えば、
○授業中の姿勢が以前に比べて良くなった。
○自主学習に一生懸命取り組んでいる。
○友達と仲良く遊び、学校での出来事を色々と報告してくれる。
などなど。


もちろん学習面でのウィークポイントについて、学校・家庭で連携して指導できればありがたい、などということも言うには言いましたが、それはあくまで「PとTのアソシエーション」という観点から発言したのであって、決して我が子を謙遜、一段低く申し上げたのではありません(誓)




さて。このようなまーさんの発言は、他の保護者の皆さんにどう受け止められたのか。


・・・ぶっちゃけ、皆さんひいて(るように見え)ました(爆)


それまで、次々に繰り出される「ウチの子こんなにダメなんです」的発言に、和やかな笑いが起こっていた教室が、まーさんの発言によって瞬時に冷ややかな(とは言い過ぎかもしれませんが)静けさに包まれ、皆さん微動だにせずワタクシの話をお聞きになっておりました(苦笑)


自分や身内を卑下することでその場を和やかにする、というこの日本独特のコミュニティ術は、よく言われることですが、欧米人には全く理解できないあり方です。


たとえば彼ら欧米人は、良く知られていることですが、我が子をこれでもかというほど褒め倒し、自慢し、その長所を積極的にアピールします。そのせいでしょうか、欧米の子ども達は、日本の子ども達に比べて自己肯定観が強く、「どうせ私なんか」とか「あまり目立ちたくない」とか、“横並び”を強く意識するような発言をほとんどしません。むしろ逆に「私はこういうことができます」「私はこのことに自信があるので前に出たいです」といった生き方がごく普通のこととして行われています。それが皆さまご存じの通り、欧米の伝統的思考法なのです。


日本人・欧米人のみならず、そのほかの地域に住む人々も含めたそれぞれの伝統的思考法は、言うまでもなく宗教・政治・地理的特性・気候・食文化などなど、様々な要因がからみあい、長い年月をかけて培われた、立派な尊重すべき思考法であるとは思います。そして当たり前ですが、「どの文化のどの思考が優れている」という相対的価値判断は出来るものではありません。それぞれの地域において「伝統として根付いてきた思考法」、ただそれだけのことです。


しかしまーさんにとって、先ほどから申し上げているこの日本における「謙遜の美徳」、これにはどうしても息苦しさを感じてしまうのです。


おそらくそれは、ワタクシにとって「謙遜」というものが、「“横並び”でなければ村八分」という相互監視体制を想起させ、また逆に「相対評価・競争原理社会の中で“横並び”から抜きん出た者だけが成功者である」という、時代遅れともいえる価値観を見せつけられるようで、心がざわざわするのだと思います。




『みんなちがって、みんないい』
とは、金子みすゞの詩だったでしょうか。




我が尊敬する岡本太郎氏は、
『他人が笑おうが笑うまいが自分で自分の歌を歌えばいいんだよ。歌に限らず他人の判断ばかりを気にしていては 本当の人間としての責任がもてない。もし自分がヘマだったら、“ああ、おれはヘマだな”と思えばいい。もし弱い人間だったら“ああ弱いんだなあ”でいいじゃないか。』
と言っています(岡本氏の著書についての過去記事はこちら。カッコイイです!まーさんのバイブルです!)




「謙遜」という日本の伝統的美徳。
その言葉が本来持つ、美しく控えめな精神を心の内に尊重しつつも、それに縛られ型にはまることなく、自由に自分自身を生き切ってみたいと、まーさんは考える次第であります。


IMG_1285_convert_20141204210441.jpg
息子君の宿題プリント
この間違いを「バカめ(怒)」ととるか「ユニーク(喜)」ととるか・・




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まーさん

Author:まーさん
息子と夫と私、考え方も行動もてんでバラバラな3人で暮らしています(笑)でも仲良しです。
音楽、映画、読書が好き。芸術鑑賞、外国語、旅行も好きです。ゆ~る・じゃぱんでは、日本大好きまーさんが暮らしのに漂う日本の香り・日本文化をゆる~く綴っていきます。

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