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「放てば手に満てり」道元禅師

『お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺』
(テレビ朝日 月曜24:15~24:45)
という番組があります。

司会は「爆笑問題」太田光・田中裕二の2人。
ゲストは毎回、若い女性芸能人が1人。
そして、それぞれ宗派の違う
現役のお坊さん5人が登場します。





内容はと申しますと・・・

葬式や各種祈願、初詣等で、
我々一般人にも身近な存在であるお寺。
しかし、そこに暮らすお坊さんたちの
修行の様子や実生活については、
我々一般人はほとんど知ることがない。
そこで番組では、
“知られざるお坊さんの生態?”を、
5人の僧侶が「ぶっちゃける」


という、何とも異色のバラエティでございます(笑)






かく言うまーさんは10代の頃、
この本を読み、本気で出家を考えたという
ちょっとした仏教オタクですので(^^ゞ
『お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺』
は、興味津々で毎週欠かさず観ている、
という次第です(笑)

土を喰ふ日々―わが精進十二ケ月土を喰ふ日々―わが精進十二ケ月
(1978/12)
水上 勉

商品詳細を見る


因みに同じく10代の頃
こんな本も流行っておりまして、
やっぱりすごく影響を受けました。
懐かしい思い出です。
(表紙はこんなですが、お坊さんマンガです)

ファンシィダンス (1) (小学館文庫)ファンシィダンス (1) (小学館文庫)
(1999/10)
岡野 玲子

商品詳細を見る






ところで先週12月13日(土)の夕方ですが、
この『お坊さんバラエティ』SPが放映されました。

番組の内容は
「お坊さんと行く路線バス途中下車でお寺ぶらり旅」
「お坊さんに面と向かって聞けない視聴者の質問」
など、いつもながらの面白い企画が満載でしたが・・・

その中で、
こう言っては何ですが(汗)
バラエティにおよそ似つかわしくなく(失礼)
まーさんの(そして恐らくスタジオの方々や視聴者の)
心をつかんだ“ある言葉”がありました。

それは、ゲストの小藪千豊
(大の仏教好きお笑い芸人、だそうです)
が番組の最後に、
「今までで一番心に響いた教えは?」と質問し、
それに答えた曹洞宗のお坊さんの一言です。


「放てば手に満てり」道元禅師


道元禅師は、言わずと知れた曹洞宗の開祖。
鎌倉時代を代表する禅僧であります。
“修証一等”“只管打坐”を唱え、
著作『正法眼蔵』は、
和辻哲郎やハイデッガーなどの
哲学者からも注目されていたとのことです。
(wikipediaより)

その禅師の言葉「放てば手に満てり」とは、
一体どのような意味を持つ言葉なのでしょうか。

これを紹介した曹洞宗のお坊さんは
以下のように解説していらっしゃいました。
(細部は覚えていないので、大体このような感じ
だったとご理解ください。)

手でつかめるものには限りがある。
お金然り、愛情然り――
そして握りしめればしめるほど、
そのものは手からすり抜けていく。
しかし手を開いて、掴んでいたものを解き放てば
無限のもので、手は満たされる。






いかがですか、皆さま。
スタジオの司会者・ゲストも
思わずうなっておりましたが、
これは本当に、常に心に留めおきたい言葉だと
まーさんは感じました。





人は常に何かに捉われ執着し、
それゆえに苦しみを抱えます。

お金
愛情
地位・名誉
生き方・信条
快楽
・・・・・

挙げればきりがありませんが、
こうした物(事)を得てそれを持続させたい、
何としても手放したくないとこだわり、
手をぎゅっと握りしめて頑なに守ろうとする。

すると、それを「得られないことの苦しみ」や
「喪失した時の恐れ」、あるいは「他者や世界への猜疑心」
等で心がいっぱいになってしまいます。
守ろうとすればするほど、そのモノからは遠ざかる・・・

ところがいったん手を開いて
自分が後生大事に抱えていたモノを解き放てば、
そこには大いなるものが満ち、
無限のもので手は一杯になる。





「手を放す」
いったい自分は今、
どれだけのモノに縛られているのか。
今、手放すべきものは何なのか。

手の内にあるものを守るために、
努力し
固執し
追いかけ
強制し
義務付け
自分を他者を
がんじがらめにする。

そんな執着ゆえの苦しみを全て捨てたら、
人の魂はどこまでも自由に、無限に
楽に、楽しく、駆け回ることが
出来るのではないか。





ただ解き放つ。

そして自らの心の内を
ただ観照する。

善悪のジャッジなく
ただ今の“そんな自分”を見つめ
静かな流れに身を任せる。

執着する自分をも
ただ「許す」。
その上で
てらいなく手を放す。





お坊さんの「ぶっちゃけトーク」から、
思わぬ良い言葉をいただいた
まーさんなのでした――




何も心配しなくて大丈夫・・なんですね
↓(*^^*)↓

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No title

「手放す」

わかっちゃいるけど、難しいものですね(笑)。

何をつかんでいるか(縛られているのか)わからない・・・と言うこともあります、確かに。
それを教えてくれるのが、感情の動き。

恐れ、怒り、哀しみ、喜び、楽しさ・・・何かを得たり失ったりする・・・と感じるこころの中に自分を縛るものがある・・・自分のものだと思っていなければ、得ることも失うこともない、ゆえに、感情は動かないので。

無理に手放そうとすれば、かえって恐れが増すこともあります。
ただ、感情が動いた、と気づいていくだけで、離れるものは、勝手に離れていくでしょう。

でも、執着することも人生の楽しみの一つでもあり、苦しむまで執着しないのであれば、そのままでいいかな、とも思うのです。

Re: No title

まるまるまるた様

こんにちは。
今日も変わりなく鋭いコメント、ありがとうございます!!


> 何をつかんでいるか(縛られているのか)わからない・・・
> それを教えてくれるのが、感情の動き。

> ただ、感情が動いた、と気づいていくだけで、離れるものは、勝手に離れていくでしょう。


すごくよく分かります!
「ただ感情が動いた、と気づいていくだけで勝手に離れていく」
ことは、最近少しずつではありますが、実感しています。

自分の喜怒哀楽を一歩離れて見つめると、
自分という存在が「愛すべきもの」のように感じられて、
とても面白いデス(笑)


> でも、執着することも人生の楽しみの一つでもあり、苦しむまで執着しないのであれば、そのままでいいかな、とも思うのです。

そうですね~~
まるた様は「楽しみとしての執着」って何かありますか?
ワタクシは最近どんどん身軽になっちゃって、
あんまりこだわりというものががないのですが(^^ゞ
しいて言えば、「美味しい食(材)へのこだわり」でしょうか(笑)
まあこれは、記事にも書きました水上勉の『土を食らう日々』にもありまして、
子供の頃禅寺で、食事係を担当していた水上氏の食(材)へのこだわり、
まさに”土を食らう”であります。
これが何だかすご~く良いのです^^

No title

こんにちは。

コメントをいただき、ありがとうございました。

行基についてそのように感じていただき、とても嬉しく思います。

実は僕も、道元禅師の生き方には共感と関心を持っています。

人権の視点からですが、近い将来、僕のブログにも書く予定です。

Re: No title

大川原英智様

こんにちは。
コメントありがとうございます!!

ワタクシのなけなしの知識によれば、
仏教が民衆のためのものとなったのは
鎌倉時代、と記憶しているのですが(汗)
それ以前に行基のような素晴らしい僧がいたことを
貴ブログにて初めて認識しました。

人権の視点からの「道元禅師」、
楽しみにしております!

No title

まーさん、こんにちは^^
確かに、手放すと自分がふっと緩み、そこに良いものがたくさん流れ込んできますね。
人間が最も無限性を実感するのは、そういう時かもしれません。
人はいつも、自分で自分を限定していますが、本来は無限の世界に開かれているのだと思います。

ただ、無理に手放そうとすると喪失感が生じたり、喜んでそうする場合も現実の生活が激変したりして(その最たるものが出家ですよね)、ちょっと大変なこともあるので、「離れて見る」という方が、いつでも簡単に出来る事かな、という気がしています。
結果的に「手放す」ので、同じような事なのですけれど・・。

「離れて見る」と、事柄がハッキリ見えて得心がいくので、一度手放したつもりの想いが、いつの間にか戻ってきている、ということが起こり難いのも良いですよ。
感情的な事にしても、思想的な事にしても、目標や欲求のようなものにしても、それが大事だとか絶対だとか思っている自分を離れて事柄を見るということです。
特に、嫌な想いに執われている場合、その想いを手放したいと思うと難しいのですが、自分の考えなどを離れて事柄を見るだけで、自然と違う認識が湧いてくるので、面白いです。

Re: No title

Ariane様

こんにちは。
いつもながら深いコメント、ありがとうございます!!

いやはや、まさしくその通りですね。
「無理に手放そうとすると喪失感が生まれ、
喜んで手放す場合も生活の激変による困難を感じる。
だから『離れて見る』というのがよい」
あ~~ホントにそうです。
ワタクシの言いたかったことはそれです(笑)

「目的や欲求」「嫌な思い」
どんなことも『離れて見る』と、
自然と違う認識が生まれてきますね・・
これは「感情や思想を手放す」というよりも
「自分を手放す」という感覚に近いのでしょうか。

Ariane様の深い見識と的確な表現に
今日も素敵な贈り物をいただいた気持ちです\(^o^)/


No title

ファンシーダンス、懐かしいです。
映画で見ましたよ。
禅問答のもっくんがよかったですね。
お坊さんの世界を少し見たような気がします。

「放てば手に満てり」は奥深い言葉ですね。
私もうなりました。
なんか、胸にささりました。
こだわりや執拗な欲望はしないほうがよいということですね。
たまにはそういった思いを解き離すことで、心が満たされることもあるのでしょう。
腹八分目ではないですが、それ以上につかみ過ぎないよう気をつけます!(^^)!

Re: No title

美雨様

こんばんは!

『ファンシーダンス』映画版、
ご覧になったのですね^^
ワタクシも大昔に観ました。

岡野玲子さんの漫画が大好きなので、
あの独特のユーモアと哲学的雰囲気が
映画ではどうなってしまうのかと
ちょっと心配しましたが、
原作の面白いところをうまくチョイスして
とっても楽しい作品になっていましたね。
主人公陽平の恋人・真朱さん役は
鈴木保奈美さんでしたっけ??
結構はまってるなあって思った記憶があります(^^)

「放てば手に満てり」
ワタクシも同じく、心に突き刺さりました。
普段はあまり意識していないけれど
自分がこだわっている物事。
そんなことを心の動きに応じてよくよく見つめ直し、
「大丈夫、力を抜いて・・・」
と己に声かけしていきたいと思います。


No title

まーさん、私もこの村上勉の本、持ってますよ。^-^
誰かからいただいたんですけど、内容はわりと地味に精進料理や思い出の料理のことが書いてあったりして。これを10代の時に読むまーさんてなんだかすごい・・。^0^;

なんだか面白そうな番組ですね〜。最近はなんでもyou tubeにアップされますから、探してみようかな。

人はそもそも手があるから、つかもうと思うのでしょうね。
大きな手があれば持てるだけ持とうと思ってしまうのだと思います。
人間と地球にいる他の生き物の違いは、他ならぬ「手」があるかないか、ではないでしょうか。
動物達は自分の手の大きさ(知恵も含めて自分の器という意味です)のものしか持てないので、無駄に取り過ぎない。
でも人は知恵を使って、自分の手の大きさ以上のものをたくさん掴もうとする。掴めると分かると、どんどん際限なく自分の手も大きくしようとする。それが今の社会なのではないか、と思います。

普段日々耳にする悲しい出来事も突き詰めれば、ほとんどが人の欲がそうさせたと言っても過言ではないと思うのです。
足がないと、険しい山にはもう登れません。あの手この手を使って、本当は触れてはならないものまで手に入れようとするのは、「手」というものを持ってしまった生き物の、終わり無き悲しい性なのではないかと思ってしまいます。

No title

まーさん、こんにちは^^

少し違うかもしれませんが、
最近、「ゼロ」が当たり前だと思って考えると、
不満や恨みなどがなくなるなぁと思いながら生活してました。
つまり、無いのが当たり前だとか、人が何かをしてくれないのが当たり前だとか・・・
あるのが当たり前だとか、してくれるのが当たり前だとか思っているから、
色々と不満が出てくるようですね。
私の場合、両親との心温まる思い出などが皆無なのですが、
こういうのもゼロが当たり前だと思うと、
感謝までとは行かなくても、余計な恨みの感情などは無くなりますね。
今、自分の人生を振り返ると、人生の美を感じる経験ができたのは、
それ以前のネガティブな経験があったお陰だなとも感じます。
空腹が一番のスパイスみたいな感じでしょうか・・・
ちなみに、私も中学生の頃、禅の修行僧などに憧れて、
出家したいな~などと思ってました(笑)
その後、三浦綾子氏などに影響され、キリスト教の方に興味が移ってしまいましたが・・・
今はキリスト教から離れてしまいましたが、今でも、
キリスト教の、愛と許しに基づく教えは割りと好きです。
そういえば、教会の人に「なんだか禅の修行僧みたいだよね~」
と言われたことがありましたが、なぜそう感じたんでしょうね・・・

Re: No title

yoyo様

おはようございます^^

yoyo様も『土を喰ふ日々』持っていらっしゃるんですね~~^^
食のプロの方から見ると、あの本はどういう印象になるのでしょう?
仰るように、内容はホント地味で(^^ゞ
禅寺で覚えた精進料理のあれこれが、淡々とつづられていますよね。
その地味さ加減、ストイックな感じに憧れて、
ワタクシは「出家したい・・」と思ってしまったわけなのでした(笑)
もちろんこの本以外にも、そう思ったきっかけはあるのですが、
・・・疲れていたんですかね、若い頃のワタクシ(爆)

『お坊さんバラエティ』はかなり面白いです。
巷で結構話題になっていますので、you tubeにアップされてるかもしれませんね^^
もし見つかりましたら、ぜひご覧になってみて下さい!                                  
> 人はそもそも手があるから、つかもうと思う
> 大きな手があれば持てるだけ持とうと思ってしまう
> 人間と地球にいる他の生き物の違いは、他ならぬ「手」があるかないか。
> 人は知恵を使って、自分の手の大きさ以上のものをたくさん掴もうとする。掴めると分かると、どんどん際限なく自分の手も大きくしようとする。それが今の社会なのではないか。
>
> 普段日々耳にする悲しい出来事も突き詰めれば、ほとんどが人の欲がそうさせたと言っても過言ではない。
> あの手この手を使って、本当は触れてはならないものまで手に入れようとするのは、「手」というものを持ってしまった生き物の、終わり無き悲しい性なのではないかと思ってしまいます。

わあ~~~、す、すごいです。
「手」というものを持ってしまったゆえに、
人間は際限なく欲を膨らませる・・・
気がつきませんでした。全くその通りですね!!!
他の動物にはない人間の特性(道具を使う、火を使う等々)は
ほとんどが「手」によって生み出されていますし、
「手」がなければ確かに、分際を越えて何かをつかみ続けようとする心は
生まれないかもしれません・・・

yoyo様の卓見に目を開かれる思いです。
ワタクシも「手」というものについて、
もっと深く考えをめぐらせてみたくなりました。
ありがとうございます(≧▽≦)

Re: No title

Korva様

「ゼロが当たり前だと思って考えると、不満や恨みが無くなる」
ああ、とてもよく分かります―――
「自分がこれだけしているのに、他人は自分に何もしてくれない」
とか、
「みんなは持っているのに、自分だけ持っていない」
とか、
『在ること』を前提に(それが当たり前と)考え始めると、
とても苦しくなりますよね(@_@)

Korva様もご両親との思い出に、辛いものを抱えていらっしゃるのですね。
ワタクシも、父との思い出はキツイものが多く、
今もなお(世間的に見たら)ワタクシたち親娘は
難しい関係にあると言えるかもしれません。
でも「もっと親らしくしてほしかった」とか「優しくしてほしかった」とか、
「~であるべき」みたいなところから発生する恨みや不快感を達観し、
「娘なんだから、どんな親でもしっかり面倒見なければいけない」という
ヘンな義務感を極力捨てるように心がけると、
少し心が軽くなり解放された気分です。

ところで、Korvaも禅僧に憧れて出家したいと思われたことがあるのですね!
わあ、何だか嬉しいデス(笑)同好の士に会えた?ような気持ちです。
ワタクシも若い時、相当精神的に追い込まれていたのだなあと、
今になって思います。でも、俗にまみれた現在でもやはり、
「出家」の志は胸の片隅にくすぶっているような気がします。

キリスト教の「愛と許し」の教え、
恥ずかしながら最近ようやく心に落ちて、理解できるようになりました。
これは本当に究極の教えですね。
「愛」とは何か、「許し」とは何か、
実生活に即してもっともっと深く考えてみたいと、
最近よく思います。

「教会の人に『修行僧みたいだよね~~』」と言われたのですね(*'▽')
やっぱりKorva様からはストイックな一本筋の通った雰囲気が
かもし出されているのでしょうね~~!!






プロフィール

まーさん

Author:まーさん
息子と夫と私、考え方も行動もてんでバラバラな3人で暮らしています(笑)でも仲良しです。
音楽、映画、読書が好き。芸術鑑賞、外国語、旅行も好きです。ゆ~る・じゃぱんでは、日本大好きまーさんが暮らしのに漂う日本の香り・日本文化をゆる~く綴っていきます。

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