萬満寺に初詣
先日2日、まーさん家族は千葉県松戸市にあります「萬満寺」に、初詣に行ってまいりました(毎年恒例です)。
こちらのお寺は夫の実家のすぐそばにありまして、臨済宗大徳寺派、本尊は阿弥陀如来様です。創建は何と建長8年(1256年)という、由緒正しき古刹でございます。
このお寺は「仁王様の股くぐり」でも有名で、仁王門の、向かって右側の仁王様の足の間をくぐり抜けると、その年を無病息災で過ごせる、という謂れがあります。
ただし、仁王様の足の間をくぐり抜けるわけですから、人々は立ったままスッと通る、というわけにはまいりません。
腹這いになってその足元を滑るようにくぐり抜けるのです。
子どもならば体が小さいので難なくくぐり抜けられますが、例えば大柄な成人男性ですと、若干苦労が伴うようです(汗)
因みにまーさん一家は、毎年この「股くぐり」をさせていただいているので、すっかりコツを体得し、背が高く体格の良い我が夫も、それなりに苦労なく(笑)仁王様の足元をくぐり抜けておるようです(^^ゞ
さて、肝心の初詣についてです。
車を降り、山門・仁王門を抜け、本堂に向かいます。


本堂に上がる手前で、線香の煙を体中に浴び、のどの弱いまーさんはちょっとむせ返りながら(笑)階段を上ります。
この日は2日ですので、31日・1日ほど人はおらず、お参りの順番も比較的早く回ってきました。
すぐにまーさんと息子の順番(夫は先に済ませて建物内へと入っていきました)です。鉦を鳴らし、用意していたお賽銭(まーさんは壱万円、息子は貯めておいた千円です。皆さま、ちょっと驚かれましたか??)をすべり込ませ、今年もこちらにお参りできた感謝の気持ちを心の内で唱えました。
・・・と書いてくると、何事もなく美しく?参拝を終えたように見えますが、実はそうではなくて――汗
お賽銭としてまーさん達はお札を入れたわけですが、これが小銭と違って重量がないため、イッパツで下まで落とし込むのは至難の業、なわけです。
で、案の定やってしまいました・・・
壱万円も千円も、下まで落ちずに引っかかった・・・
あ~~~~っ\(◎o◎)/!どうしよう?
・・・って、どうしなくてもいいわけです、本当は。
たとえ下にはいかなくとも、それが風で飛んで行ってしまうということも恐らくないであろうし、ましてや仏様の前でこのお札を盗ってやろうという、不届きな参拝者もいないでしょう。
しかし、まーさんも息子も焦ってしまった。
このままではいかん!何とかせねば。
この時まーさんの脳裏をよぎったのは、
「このお札を見たら、きっと後ろに並んでいる参拝の方々はギョっとするに違いない。そして我々に対して『なぜこんな高額なお賽銭を入れるのか。どうかしているのではないか。』という不審な気持ちを抱くだろう。」
という、何とも浅はかな思いです(苦笑)
実はまーさん、これ以前にも、あちこちの神社仏閣でお賽銭箱に高額のお札を奉じるという行為を繰り返してきました。
その時にもお札が上手く下まで落ちなかったというハプニングはありました。
しかし今回ほど、焦る気持ちは起きませんでした。
ではなぜこの時はあれほどまでに焦ってしまったのか?
それはおそらく、初詣という特殊な状況下、参拝者が大勢いらっしゃる中で、その方たちの目を、まーさんが必要以上に気にしてしまった、ということだと思います。
つまりワタクシは「人の目や思惑を、必要以上に気にする小心者」
ということです(爆)
うお~~~、そういうことか!!
最近『ありのまま』とか『自分らしく』とか『自由に』とか、そんな生き方を多少なりとも出来るようになった気でいたまーさんですが、さにあらず~~~!!!!!
「三つ子の魂百まで」ぢゃないですけど、肝心な所は未だ変わっていないのです。幼い頃から「親の目を気にして、周囲の目を気にして、怒られないように生きて来た」ビクビクまーさんが、やはり今も心の片隅に居座り続けているのです。
なるほど~~~!!すごい気づきをいただきました。
「もうそんな自分は捨てちまえ!!」
そのことを、こちらのご本尊である阿弥陀様(ワタクシと息子の守り本尊でもあります)が教えてくれたのかもしれません。
ところで皆さま、不思議に思われたかもしれませんが、なぜまーさんはあちこちの神社仏閣にて高額のお札を奉じているのか。
それには訳がございまして――
昨年の9月頃でしたでしょうか、まーさんの親しい友人が、「私、最近こんなの読んでるよ。よかったら覗いてみて。」と言って、心屋仁之助さん(性格リフォームカウンセラー。日テレ「解決!ナイナイアンサー」にも出演。著書多数。)のブログを紹介してくれました(心屋仁之助ブログはこちら)。
当初はそんなに興味も湧かず(心屋さんスイマセン)、ブログも読んだり読まなかったりだったのですが――
その後ワタクシが本・TV等で出会ったキーワード『自分を許す』『手を放す』『罪悪感を捨てる』『ありのままに生きる』『親の呪縛から自分を解放する』などが、心屋さんの目指す方向性と全く同じであることに気づき、そこから俄然興味を持って彼のブログを読むようになったのです。
そのブログの中で、心屋さんが提唱していることの一つに「神社ミッション」というものがあります。
これは「神社の賽銭箱に一万円(!!)入れましょう。しかもそれはご利益のありそうなところではなく、ひとけのないさびれた神社で(!!)やりましょう。そうすることで『お金の執着を手放す』『損してもいい』『お金を世間に回す』『先に出す』という感覚を養いましょう」というミッションです。(もちろんこれは、神様を軽んじての行為ではなく、あくまでも自分の気づきのための行為ということなので、“神仏をないがしろにするな”と目くじら立てられると困る、と心屋さんはおっしゃいます。ですから、どうしても不敬が気になる方は、コンビニの募金箱とか、そういったものにお金を入れるでも構わない、ということらしいです。)
実際多くの人がこのミッションにトライし、最近巷では高額紙幣を賽銭箱に入れる人が増えているとか・・・(^^ゞ
それはともかく、まーさんもこの神社ミッション、昨年の秋ぐらいから遂行しているわけです。
高額紙幣をぱらっと賽銭箱に滑らせる。
その行為自体には、不思議と何も感じません(損した、ヤバい、痛い、などの感情は全く起こらないのです)。しかし、時には今回のように、人目を気にしてドキドキしたり、ものすごく清々しい気持ちになったり、あるいは手を合わせている時になぜだか涙があふれてきたり・・・
色々な不思議体験・気づき体験をさせてもらっています。
何かを『手放す』。執着なく『手放す』。これを実践し、自分の執着の正体に気づくための一手段として「神社ミッション」があるのだと思います。
実際その行為に対する自分の心の動きを内観すると、様々な気づきがあります。
封印していた様々な感情が、思いがけず浮上してきて驚きます。
まーさんはこれからも、折を見て神社ミッション、遂行していきたいと考えています(*’▽’)
さて。
話はもとに戻りますが、この日のお参りで賽銭箱に引っ掛かってしまったお札たち。この後どうなったかと申しますと・・・
スイマセン、まーさんと息子は、そのお札の上に小銭を何枚も落とし入れ、小銭の重みでお札を中へと押し込んだのでした(仏罰)
焦ってワーワーとお賽銭を入れ続けているワタクシ達を見て、
後ろに並んでいたおぢさんが、
「何?千円札が間違って入っちゃったの?どうする、取ってあげようか?」
と、ご親切にも声をかけて下さり、
「いえ、大丈夫です。千円札、落としちゃったんじゃなくて入れたんです・・・笑」
と申し上げると、
「そ、そうなの・・・ん~~~」
と不思議な苦笑い?を浮かべておいででした(おぢさん、ごめんなさい。)
後ろの参拝者に不審がられるのが嫌で、無理矢理お札を押し込もうとした行為が、かえって不審感をあおったという、何ともアホウなお話です(謝)
その後はいつものように、十二支の守り本尊が安置されているお堂に参って、ワタクシと息子は阿弥陀様の前にてお祈りをしました。(因みに夫は、不動明王が守り本尊です。その恐いお姿が、あまりにも夫のイメージにピッタリなので、ちょっと笑ってしまいます)。

それからこれも毎年恒例の「おみくじ」を、三人そろって引きました。こちらのおみくじは、本当に「今の自分にピッタリ」のお言葉がいただけるので、例年心底驚きつつ、一年の指針として大切に保管しておきます。
夫、まーさん、息子の順に引きましたが、まーさんはいつもの通り“今のワタクシにふさわしいお言葉を下さい”と念じつつおみくじを引かせていただきました。すると・・・・
な、ナント!!
「大吉」でした~~~!!
純粋に嬉しいデス\(^o^)/

しかし、「おみくじ」というものは、その下に書いてある文言にこそ意味があるのであって、そこを読まねば、それこそ意味がありません。
まーさんの引いたおみくじには、以下のようなことが書いてありました。
🌸このみくじにあたる人は、いせい強く多くの人に貴ばれる身なれば、この上善根を多く積み、其の果報がつきざるようにすべし、今たとえ運悪きことあるも、宝の塔が木の茂みに隠されたるが如く時をえて立身出世すべし🌸
す、スバラシイ内容ではありませんか!!
ただのしがない?オバサンであるまーさんに、夢と希望を与えてくれるお言葉(笑)お賽銭箱の前で、あんな醜態をさらしたにもかかわらず、何とお優しい阿弥陀様なのでしょう(感激)
分かりました。「善根を多く積む」。忘れず心に刻んでおきたいと思います!!
ところで、こちらの「おみくじ」がどれ程すごいかと申しますと・・・
何と、我が夫が今年引いたおみくじ、去年と全く同じものが出てきました~~(驚)
つまり、彼にとっての課題は
「去年から全く変わっていない」ということなのでしょうね。
それにしても、全く同じって・・・
凄すぎます。
こうしてまーさん達は本堂を後にし、息子がどうしても欲しいと言った「学業成就」のお守りを授けていただき(お守りは「買う」と言ってはいけないそうです。最近「学業成就」にこだわっている息子。何が起こった?・・笑)、「仁王像の股くぐり」をさせていただきました。まーさんと息子は見物ギャラリーいっぱいの中、ワイワイ言いながら股くぐり。どこに行ってもいろんな人に囲まれ話しかけられる親子です(笑)夫はそういうのがキライなので、人々がいなくなってから、密かに股くぐり、やってました・・(^^ゞ
これで今年一年も、大過なく過ごせそうですv
まーさんは「おみくじ」の文言に従い、
🌸善根を多く積み
🌸運悪き時はますますつとめ運よき人は用心せよ
を、常に心にとどめておきたいと思います^^
皆さまは「おみくじ」引かれますか?
↓(*’▽’)↓

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こちらのお寺は夫の実家のすぐそばにありまして、臨済宗大徳寺派、本尊は阿弥陀如来様です。創建は何と建長8年(1256年)という、由緒正しき古刹でございます。
このお寺は「仁王様の股くぐり」でも有名で、仁王門の、向かって右側の仁王様の足の間をくぐり抜けると、その年を無病息災で過ごせる、という謂れがあります。
ただし、仁王様の足の間をくぐり抜けるわけですから、人々は立ったままスッと通る、というわけにはまいりません。
腹這いになってその足元を滑るようにくぐり抜けるのです。
子どもならば体が小さいので難なくくぐり抜けられますが、例えば大柄な成人男性ですと、若干苦労が伴うようです(汗)
因みにまーさん一家は、毎年この「股くぐり」をさせていただいているので、すっかりコツを体得し、背が高く体格の良い我が夫も、それなりに苦労なく(笑)仁王様の足元をくぐり抜けておるようです(^^ゞ
さて、肝心の初詣についてです。
車を降り、山門・仁王門を抜け、本堂に向かいます。


本堂に上がる手前で、線香の煙を体中に浴び、のどの弱いまーさんはちょっとむせ返りながら(笑)階段を上ります。
この日は2日ですので、31日・1日ほど人はおらず、お参りの順番も比較的早く回ってきました。
すぐにまーさんと息子の順番(夫は先に済ませて建物内へと入っていきました)です。鉦を鳴らし、用意していたお賽銭(まーさんは壱万円、息子は貯めておいた千円です。皆さま、ちょっと驚かれましたか??)をすべり込ませ、今年もこちらにお参りできた感謝の気持ちを心の内で唱えました。
・・・と書いてくると、何事もなく美しく?参拝を終えたように見えますが、実はそうではなくて――汗
お賽銭としてまーさん達はお札を入れたわけですが、これが小銭と違って重量がないため、イッパツで下まで落とし込むのは至難の業、なわけです。
で、案の定やってしまいました・・・
壱万円も千円も、下まで落ちずに引っかかった・・・
あ~~~~っ\(◎o◎)/!どうしよう?
・・・って、どうしなくてもいいわけです、本当は。
たとえ下にはいかなくとも、それが風で飛んで行ってしまうということも恐らくないであろうし、ましてや仏様の前でこのお札を盗ってやろうという、不届きな参拝者もいないでしょう。
しかし、まーさんも息子も焦ってしまった。
このままではいかん!何とかせねば。
この時まーさんの脳裏をよぎったのは、
「このお札を見たら、きっと後ろに並んでいる参拝の方々はギョっとするに違いない。そして我々に対して『なぜこんな高額なお賽銭を入れるのか。どうかしているのではないか。』という不審な気持ちを抱くだろう。」
という、何とも浅はかな思いです(苦笑)
実はまーさん、これ以前にも、あちこちの神社仏閣でお賽銭箱に高額のお札を奉じるという行為を繰り返してきました。
その時にもお札が上手く下まで落ちなかったというハプニングはありました。
しかし今回ほど、焦る気持ちは起きませんでした。
ではなぜこの時はあれほどまでに焦ってしまったのか?
それはおそらく、初詣という特殊な状況下、参拝者が大勢いらっしゃる中で、その方たちの目を、まーさんが必要以上に気にしてしまった、ということだと思います。
つまりワタクシは「人の目や思惑を、必要以上に気にする小心者」
ということです(爆)
うお~~~、そういうことか!!
最近『ありのまま』とか『自分らしく』とか『自由に』とか、そんな生き方を多少なりとも出来るようになった気でいたまーさんですが、さにあらず~~~!!!!!
「三つ子の魂百まで」ぢゃないですけど、肝心な所は未だ変わっていないのです。幼い頃から「親の目を気にして、周囲の目を気にして、怒られないように生きて来た」ビクビクまーさんが、やはり今も心の片隅に居座り続けているのです。
なるほど~~~!!すごい気づきをいただきました。
「もうそんな自分は捨てちまえ!!」
そのことを、こちらのご本尊である阿弥陀様(ワタクシと息子の守り本尊でもあります)が教えてくれたのかもしれません。
ところで皆さま、不思議に思われたかもしれませんが、なぜまーさんはあちこちの神社仏閣にて高額のお札を奉じているのか。
それには訳がございまして――
昨年の9月頃でしたでしょうか、まーさんの親しい友人が、「私、最近こんなの読んでるよ。よかったら覗いてみて。」と言って、心屋仁之助さん(性格リフォームカウンセラー。日テレ「解決!ナイナイアンサー」にも出演。著書多数。)のブログを紹介してくれました(心屋仁之助ブログはこちら)。
当初はそんなに興味も湧かず(心屋さんスイマセン)、ブログも読んだり読まなかったりだったのですが――
その後ワタクシが本・TV等で出会ったキーワード『自分を許す』『手を放す』『罪悪感を捨てる』『ありのままに生きる』『親の呪縛から自分を解放する』などが、心屋さんの目指す方向性と全く同じであることに気づき、そこから俄然興味を持って彼のブログを読むようになったのです。
そのブログの中で、心屋さんが提唱していることの一つに「神社ミッション」というものがあります。
これは「神社の賽銭箱に一万円(!!)入れましょう。しかもそれはご利益のありそうなところではなく、ひとけのないさびれた神社で(!!)やりましょう。そうすることで『お金の執着を手放す』『損してもいい』『お金を世間に回す』『先に出す』という感覚を養いましょう」というミッションです。(もちろんこれは、神様を軽んじての行為ではなく、あくまでも自分の気づきのための行為ということなので、“神仏をないがしろにするな”と目くじら立てられると困る、と心屋さんはおっしゃいます。ですから、どうしても不敬が気になる方は、コンビニの募金箱とか、そういったものにお金を入れるでも構わない、ということらしいです。)
実際多くの人がこのミッションにトライし、最近巷では高額紙幣を賽銭箱に入れる人が増えているとか・・・(^^ゞ
それはともかく、まーさんもこの神社ミッション、昨年の秋ぐらいから遂行しているわけです。
高額紙幣をぱらっと賽銭箱に滑らせる。
その行為自体には、不思議と何も感じません(損した、ヤバい、痛い、などの感情は全く起こらないのです)。しかし、時には今回のように、人目を気にしてドキドキしたり、ものすごく清々しい気持ちになったり、あるいは手を合わせている時になぜだか涙があふれてきたり・・・
色々な不思議体験・気づき体験をさせてもらっています。
何かを『手放す』。執着なく『手放す』。これを実践し、自分の執着の正体に気づくための一手段として「神社ミッション」があるのだと思います。
実際その行為に対する自分の心の動きを内観すると、様々な気づきがあります。
封印していた様々な感情が、思いがけず浮上してきて驚きます。
まーさんはこれからも、折を見て神社ミッション、遂行していきたいと考えています(*’▽’)
さて。
話はもとに戻りますが、この日のお参りで賽銭箱に引っ掛かってしまったお札たち。この後どうなったかと申しますと・・・
スイマセン、まーさんと息子は、そのお札の上に小銭を何枚も落とし入れ、小銭の重みでお札を中へと押し込んだのでした(仏罰)
焦ってワーワーとお賽銭を入れ続けているワタクシ達を見て、
後ろに並んでいたおぢさんが、
「何?千円札が間違って入っちゃったの?どうする、取ってあげようか?」
と、ご親切にも声をかけて下さり、
「いえ、大丈夫です。千円札、落としちゃったんじゃなくて入れたんです・・・笑」
と申し上げると、
「そ、そうなの・・・ん~~~」
と不思議な苦笑い?を浮かべておいででした(おぢさん、ごめんなさい。)
後ろの参拝者に不審がられるのが嫌で、無理矢理お札を押し込もうとした行為が、かえって不審感をあおったという、何ともアホウなお話です(謝)
その後はいつものように、十二支の守り本尊が安置されているお堂に参って、ワタクシと息子は阿弥陀様の前にてお祈りをしました。(因みに夫は、不動明王が守り本尊です。その恐いお姿が、あまりにも夫のイメージにピッタリなので、ちょっと笑ってしまいます)。

それからこれも毎年恒例の「おみくじ」を、三人そろって引きました。こちらのおみくじは、本当に「今の自分にピッタリ」のお言葉がいただけるので、例年心底驚きつつ、一年の指針として大切に保管しておきます。
夫、まーさん、息子の順に引きましたが、まーさんはいつもの通り“今のワタクシにふさわしいお言葉を下さい”と念じつつおみくじを引かせていただきました。すると・・・・
な、ナント!!
「大吉」でした~~~!!
純粋に嬉しいデス\(^o^)/

しかし、「おみくじ」というものは、その下に書いてある文言にこそ意味があるのであって、そこを読まねば、それこそ意味がありません。
まーさんの引いたおみくじには、以下のようなことが書いてありました。
🌸このみくじにあたる人は、いせい強く多くの人に貴ばれる身なれば、この上善根を多く積み、其の果報がつきざるようにすべし、今たとえ運悪きことあるも、宝の塔が木の茂みに隠されたるが如く時をえて立身出世すべし🌸
す、スバラシイ内容ではありませんか!!
ただのしがない?オバサンであるまーさんに、夢と希望を与えてくれるお言葉(笑)お賽銭箱の前で、あんな醜態をさらしたにもかかわらず、何とお優しい阿弥陀様なのでしょう(感激)
分かりました。「善根を多く積む」。忘れず心に刻んでおきたいと思います!!
ところで、こちらの「おみくじ」がどれ程すごいかと申しますと・・・
何と、我が夫が今年引いたおみくじ、去年と全く同じものが出てきました~~(驚)
つまり、彼にとっての課題は
「去年から全く変わっていない」ということなのでしょうね。
それにしても、全く同じって・・・
凄すぎます。
こうしてまーさん達は本堂を後にし、息子がどうしても欲しいと言った「学業成就」のお守りを授けていただき(お守りは「買う」と言ってはいけないそうです。最近「学業成就」にこだわっている息子。何が起こった?・・笑)、「仁王像の股くぐり」をさせていただきました。まーさんと息子は見物ギャラリーいっぱいの中、ワイワイ言いながら股くぐり。どこに行ってもいろんな人に囲まれ話しかけられる親子です(笑)夫はそういうのがキライなので、人々がいなくなってから、密かに股くぐり、やってました・・(^^ゞ
これで今年一年も、大過なく過ごせそうですv
まーさんは「おみくじ」の文言に従い、
🌸善根を多く積み
🌸運悪き時はますますつとめ運よき人は用心せよ
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