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『100分de名著 古事記 第三回「出雲神話という謎」』

10月だというのに、毎日夏のような暑さが続いております。
皆さま、体調など崩されておりませんでしょうか。

まーさんは、だるい体に鞭打って、朝からチャイコフスキーの「1812年」(小澤征爾&ベルリンフィル)を聴き、自分を奮い立たせていましたが(苦笑)、遂に午後は眠気に勝てず、昼寝をしてしまいました~~(沈)

・・・やはりちょっと疲れ気味のようです(^^ゞ


             ◇


さて今日は『100分de名著 古事記 第三回 「出雲神話という謎」』について綴ってまいります。

スサノヲの物語の後、いわゆる「出雲神話」と呼ばれる物語が始まります。
歴史の表舞台から消えてしまった古代日本のもう一つの姿・出雲の強大な勢力を示唆する物語です。

三浦氏によれば、『古事記』の神話の三分の一が「出雲神話」であり、その意味では『古事記』=出雲を中心とした神話であるといえるとのことです。
「出雲神話」ではオホクニヌシ(大国主)が主人公となっています。このオホクニヌシとはどのような神なのか。以下にまとめてみます。
○スサノヲ(とクシナダヒメ)から7代目の子孫
○幼少期はオホナムヂ(=偉大なる大地の男)と呼ばれる。
○やがて大地を治めるオホクニヌシ(=偉大なる国の主)となる。

この後、いくつかのオホクニヌシ神話が紹介され、三浦氏の解説が付けられます。





<因幡の白兎>
80に余る兄弟のいるオホナムヂ(後のオホクニヌシ)は、美しいと評判の「因幡のヤガミヒメ」を娶りたいという兄弟たちと共に、一行の最後尾に付き、荷物持ちとして因幡へと向かう。その途中、皮を剥がれて苦しむウサギに出会う。先にウサギを見かけた兄たちは「塩水で洗い日に当てればよくなる」と嘘を教え、それを実行したウサギは、かえってつらい痛みに苦しむことになる。後からやって来たオホナムヂはその様子を見て同情し、ウサギの体を真水で洗い、その上にガマノホワタをしいて寝かせてあげる。すると、不思議なことに、ウサギの怪我は治ってしまう。喜んだウサギはこう予言する。「ヤガミヒメ様が夫として選ぶのは、兄たちではなくあなたでしょう。」果たして予言は的中し、ヤガミヒメはオホナムヂとの結婚を望む。兄たちはオホナムヂをやっかみ様々な手を使って彼を殺そうとするが、母神様の助言によって「木の国」へと逃げのびる。



この神話は、二つのことを表していると三浦氏は言われます。一つは、この物語が「いじめられた末弟がそれを克服する、少年の成長物語」という神話の典型的なパターンだということ。もう一つは、因幡の白兎を治療するオホナムヂは「医療の知識を持っている=主(ぬし)の資格を持っている」神として描かれている、ということです。オホナムヂはここで、主(ぬし)になる力があるかどうかを試され、それを見事にクリアしたのが、この「因幡の白兎」の物語だというのです。


神話の典型「試練を克服する末弟の成長譚」、これは世界中の神話に見られるパターンかと思います。また「医療の知識=主の資格」という見方は、これまでまーさんの知るところではなく、非常に興味深く感じられました。





<「木の国」から「根の堅州の国」へ>
「木の国」にまで迫って来た兄たちから逃げるため、オホナムヂは「根の堅州の国」へと向かう。ここにはスサノヲ(オホナムヂの7代前の祖先神)がいる。オホナムヂはこの国で、スサノヲの娘スセリビメと出会い、結ばれる。スサノヲはこの結婚に際し、オホナムヂに試練を次々と与える。このままではオホナムヂが死んでしまうと思ったスセリビメは、「共に逃げましょう」と言い、二人はスサノヲの太刀と弓を持って逃げる。そこに現れたスサノヲは次のように告げる。「オホナムヂよ、お前はその太刀と弓を持って兄弟を追い払い、オホクニヌシ(大国主)となって地上を治めよ。」こうしてオホナムヂはオホクニヌシとなり、地上(出雲)に初めて国を作ったのである。



この神話について、三浦氏の解説で面白かったのは、以下の二つです。
一つは、「日本海文化圏」(三浦氏の造語)の存在について。古代日本において、出雲を中心とした日本海側は、大陸とつながった文化的先進地であり、これを三浦氏は「日本海文化圏」と名付けておられます。この文化圏には、

   朝鮮半島
  ⇅    ⇅
 筑紫 ⇄ 出雲 ⇄ 高志(コシ)⇄ 州羽(スハ)


という流れがあり、更には日本海を通じて、東北・北海道・沖縄まで人・物が行き来し、古代においては日本海側全体が文化的先進国として栄えていた、その中心が「出雲」だったとのことです。

もう一つは『古事記』には二つの世界観があるとの指摘です。図解すると以下のようになります。

水平的世界(南方的・縄文的)  垂直的世界(北方的・弥生的)
  常世の国            高天の原  【 天上 】
                           ↓
  ワタツミの宮          葦原の中つ国【 地上 】
                           ↓
  根の堅州の国          黄泉の国  【 地下 】


『古事記』には上記のような二つの世界観が混在している。つまり、「海の彼方に神の世界がある」とする水平的・南方的・縄文的な世界観(同様の神話はインドネシア・マレーシア等にも見られる)と、「天上・地上・地下」という垂直的・北方的・弥生的な世界観(こちらは天皇家の世界観)が混じり合って出来ているのが、日本神話だというのです。
極東に位置する日本列島は、人及び文化の流れが全て溜まっていく「どん詰まり」の場所である、だからこのように世界観の混在が起きるのである、と三浦氏は述べられています。
そしてそれは神話のみならず、日本人そのものも二つのルーツ(南から来た旧日本人=縄文人と、北から来た新日本人=弥生人)があり、これが混じり合って生まれていることを示していると氏は仰っていました。


まーさんは、日本の神話・伝承・物語等に見られる、水平的世界観と垂直的世界観の混在について、以前から疑問と興味を抱いていましたが、三浦氏の説明はとても分かりやすく納得のいくものでした。もちろん「日本人」と一括りに言っても、その他の先住民族の存在など、さらに複雑な歴史があることは間違いありません。しかし、極東の日本に様々な民族が流入し入り混じり、現在の日本人および日本文化が出来たと考えると、「日本という国」が“文化の雑種性”に一貫して寛容である理由が、何となく分かるような気がするのです。





<国譲り>
オホクニヌシの治める地上の繁栄を、天上から見ていたアマテラスは「オホクニヌシに代わり、地上を我が御子に治めさせよう」と考えるようになる。そして何人もの神々を地上に送り込んだが、皆オホクニヌシに懐柔されてしまい、うまく事がが運ばなかった。そこで最後にアマテラスは、武勇に優れたタケミカヅチを地上に送り込み、オホクニヌシに地上をアマテラスの御子に譲るよう迫る。オホクニヌシは二人の子供達にどうするかを聞いたところ、一人は快く了承し、一人は抵抗した。しかし最後には降参した。そこでオホクニヌシは「この出雲の国を献上するにあたり、天上地下に届くような立派な柱を持った住まいを建てて欲しい。それが条件だ」とし、無事国譲りは終わった。この時の建物が現在の出雲大社の起源だという。



この物語は「日本海文化圏の終焉」を表わしていると、三浦氏は言われます。『古事記』という神話では、いかにも穏やかに国譲りが進んだように記述されていますが、実際はもっと激しい争いがあったのではないかと氏は述べておられます。(事実、中国の歴史書には、この頃の日本の状態は「倭国大乱」と記載されており、多くの国々に分かれて争い合っていたらしい事が分かるそうです。)

また三浦氏は、いわゆる「記紀」と並び称される『古事記』『日本書紀』を比較して、次のようであるとも指摘されています。

『日本書紀』
ヤマト朝廷の正史
(立場)
・ヤマト朝廷の支配は揺るぎない。
・過去よりも、現在・未来の国家を意識

『古事記』
在野の歴史書
(立場)
・敗者にも目を向けている。
・現在よりも、過去の物語を重視


つまり、『日本書紀』が中国・朝鮮に向かって日本の素晴らしさを強調したい正史である(ため、「出雲神話」はすべて省かれ、純粋漢文で書かれている)のに対し、『古事記』は滅びても素晴らしい人々がいた(オホクニヌシ)事を伝える語り部の役割が、存分に発揮された書物である、というのです。




『古事記』『日本書紀』ともに、天武天皇の命により編纂された書物ではありますが、『古事記』は、本居宣長が注目するまでひっそりと伝えられてきた本であることを考え合わせると、確かに氏の仰るように『古事記』=在野の歴史書=敗者への視線を重視した書物、と考えてよいかもしれません。
穏便に国譲りがなされた、という記述に、逆説的に敗者の痛切な無念を感じるとも、三浦氏は述べておられました。
まさにそこが、『古事記』という書物の文学的な魅力なのかもしれません。







家事の合間を縫って、細切れにまとめているこのブログ。
思考を深化させたい時には、中々厳しいものを感じますが(汗)、何とか頑張って書いておりまする(@_@)

次回はいよいよ最終回、「古事記の正体とは」について、綴っていきたいと思います。



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非公開コメント

No title

興味深い説があるんですね。
日本書紀や古事記の世界、虚構なのか、ある程度の真実を含むものなのか、とても面白いですよね。
古代に思いを馳せてみるのもいいものですね。

日々の家事、お疲れ様です。
次回の記事も楽しみにしております。

No title

こんばんは~


私は、昨日貧血だったのと、急な寒暖差についていけなくて、
めまいがし、夕食食べたものを全部戻してしまいました~

まったく、歳はとりたくないものです。
とはいえ、今日は今日とて、神戸の三宮までいって
おけいこしてきたんですけどね。(元気)


大国主命の話といえば、
また、まぜこぜなことを言って申し訳ありませんが、
旧約聖書の『創世記』のヤコブの話と
この大国主命の話は酷似している。

ヤコブはイサクの12番目の子供で、
末っ子だったんです。

他の11人のお兄さんたちも、出来のいい子だったのに、
なぜか父親のイサクはヤコブを猫かわいがりする。

で、あるとき、飢饉が起きて、イサクは息子たちに
食料をエジプトまで買いに行かせるのです。

そのとき、兄弟は共謀してヤコブを亡き者にしようと
大きな穴を掘り、そこにヤコブを突き落として、
父親には、「ヤコブは道中、獣に襲われて死んでしまった」
と嘘をいうのです。


ところが、ヤコブはエジプトの高官に拾われて、
賢いので養子になり、高い教育も受け、ついには
エジプトの宰相となるのです。

で、なんじゃかんじゃ、いろいろあるんですが、
ついには、ユダヤの民の長となり、
名前を「イスラエル」と改めるのです。



ね、なんかそっくりでしょ~?

神話はどうしてこんなに類似性があるのか?

とても、不思議です。

やはり、ペルシャあたりのふる~~~い記憶が
世界中に流出した結果なのでしょうか?


Re: No title

ドナ夫様

こんにちは。
コメントありがとうございました。

『記紀』は真実をもとに作られた虚構、という感じで、
実際の史実と照らし合わせてみると、また興味深いものがありますよね。
かつての出雲大社の遺構が、数年前出てきたとのことで、
それによると出雲大社は、非常に高さのある建物だったということ。
『古事記』の「天上地上に届く柱の建物を建てて欲しい」は、
事実に基づくものだった、ということが、テレビの中でも言われていました。

最近私事でちょっと忙しく、日々の家事と合わせてくたびれ気味です(^^ゞ
いつもいつも温かいお気遣い、ありがとうございます。

Re: No title

sadafusa様

こんにちは。
その後体調はいかがですか??
台風も近づいており、ワタクシはまた、
体の調子がおかしくなりつつあります(@_@)
低気圧が近づくと、頭痛・めまい・神経痛などが起きる人、
結構いますが、何で人間の体は天候(気圧)に左右されるのでしょう?
動物って皆そうなんですかね…?

ところで。
旧約聖書『創世記』のヤコブの話と、大国主の話の相似、
すごく面白いですね。
世界の神話(聖書も神話?)はやはり、三機能体系じゃないですけど、
巡り巡って同じ型を持っている、という感じがしますね。

世界の昔話でも、大体可愛がられる(あるいは賢くて親孝行な)のは、
末息子だったり、末娘だったり。
なんで末っ子なんでしょう(笑)
そんなことについての研究も、どなたかがされているのだと思いますが、
面白い共通点です。
プロフィール

まーさん

Author:まーさん
息子と夫と私、考え方も行動もてんでバラバラな3人で暮らしています(笑)でも仲良しです。
音楽、映画、読書が好き。芸術鑑賞、外国語、旅行も好きです。ゆ~る・じゃぱんでは、日本大好きまーさんが暮らしのに漂う日本の香り・日本文化をゆる~く綴っていきます。

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