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ほぼ計画ゼロの旅行―群馬・長野・山梨―

今日で8月も終わりです。
夏の終わりはいつも、そこはかとない寂しさを感じますが、
ここ何日かすっかり涼しくなって、
もう秋の気配があちこちに漂っております。




先週の水曜日。
今年は仕事が忙しく、夏休みの取れなかった夫が急に
「明日旅行に行く??」
と言い出しました。
え、明日・・・???
しかも今は夜の8時なんですけど・・・(@_@)

が、それを聞いた息子は
「行くっ!!」
と即答(笑)

というわけで、急きょ木曜から一泊で旅行に出かけることになりました。





一日目。
まず向かったのが群馬サファリパーク。
まだ息子が2歳くらいの時行ったきりで、
その後は訪れていませんでした。
動物好きの息子とまーさんはホントに大喜びで、
ワクワクしながらサファリパークのゲートをくぐりました。

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まずは「ふれあいコーナー」で動物にエサやり。
息子はこれが大好きなのです^^


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続いて、インドネシアからやって来た”森の人”
オランウータンのリディアちゃんと記念撮影♪
ウータン好きの夫はすごく喜んでました(笑)
もちろんまーさんも息子もウータン大好きです。
とっても可愛くて、ずっと一緒にいたかった~~
毎日「パンテーン」で朝シャンしているそうです(≧▽≦)

トゥリマカシー!!

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ここで昼食。園内のレストランにて。
まーさんはリディアちゃん来日記念の
「インドネシアプレート」(写真)を注文しました。
・サテ(甘辛の焼き鳥)
・春雨とエビのサラダ、
・野菜炒め
・えびせんべい
・カレー二種類
 (一つはココナッツ入りのチキンスープカレー)
・目玉焼きごはん
いかにもインドネシア~~なプレートでした。
美味しかった!!


そしていよいよ動物たちの待つサファリなエリアへ。
自家用車で入場しました。

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ホントは山のように動物たちの写真、取ったのですが、
全部載せていたらとんでもないことになってしまうので、
このくらいでやめておきます・・(泣)
猿山のところでは、大変なハプニング。
何と、車上にお猿さんが乗っかって来て、
屋根のアンテナをカジカジしてしまいました~~(@_@)
命の次に大切な車に傷つけられた夫は、
相当へこんでいました(苦笑)






という訳で、楽しかった群馬サファリパークを後にし、
長野経由で山梨の「下部温泉」へ向かいました。
昔、まだ息子が生まれる前に夫と二人で何度も訪れた宿に泊まります。


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途中の道の駅。美味しそうな野菜やパンを購入。

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美しい田圃が広がっています。

くねくねした山道を抜け、富士川沿いをひた走り、
ようやく下部温泉に到着!!

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木造三階建の風情あるお宿です。
下部温泉は「信玄かくし湯」として有名で、
お湯にはさまざまな効能がありますが、
特に切り傷や骨折に効くとのことです。


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ちょっと遠景ですが、隣のお宿「源泉館」。
もしかしてご存知の方もおありかと思いますが、
伝説の漫画家・つげ義春氏の『ゲンセンカン主人』の
舞台となったのが、ここです!!


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まーさん達が泊まった
裕貴屋の名物「洞窟風呂」。
地下の洞窟にわく温泉で、
源泉(30度!)をそのまま使っています。
お湯というより水・・・でもものすごく効く~~!!
驚きの温泉です。
夏はこのくらい冷たくても大丈夫ですが
(かえって長風呂できて良いかも)、
冬は・・・さすがにキツイです(汗)
こちらのお宿、この「洞窟風呂」のほかに、
40℃くらいに沸かした大浴場と、
貸切にできる露天風呂が二つあります。
お湯の種類もそれぞれ異なっており、
バラエティに富んでいてホント楽しめます。


まーさん達は到着早々露天風呂で疲れを癒し、
夕食の後、洞窟風呂と大浴場を楽しんだのでした。
いや~~良いお湯でした。
息子は大はしゃぎで、
洞窟風呂にてバシャバシャ泳いでいたらしいです・・・
(宿のご主人、スイマセン)






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翌日、宿から20分ほど車で上ったところにある
古民家(国重要文化財指定)を見学。
車を降りてから3分ほど歩くのですが、
いや~~その上りの坂道がきついのなんの・・・(苦笑)
道端でお年寄りたちが和やかに談笑していらっしゃいましたが、
皆さん毎日、この坂を上り下りしておられるとは・・・
頭が下がります。






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山を登る途中、浅瀬の川を見つけた息子。
「川遊びした~~いっ!!」と大さわぎ。
というわけで、車をとめて随分長い間、川原で遊びました。
水の冷たさが半端ない・・・
小川のせせらぎ、蝉の声。ほかには何も聞こえません。
癒されます。


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この後寄り道した地元のスーパーで見つけたのがこちら
「ばくだんおにぎり」
これはミニサイズのほうですが、
一個が500gという巨大な「ばくだんおにぎり」もありました。
(こちらが本家なのかな?)

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そして山梨と言えば「天狗山」です。
当ブログで何度がご紹介しておりますが、義母の実家がこの近くにあり、
彼女の家では代々このお山を信仰しております。
この日は山頂まで上がらず、ふもとの鳥居のところでお参りしました。
まーさんは手を合わせている間、ありえないくらい蚊に刺され
かゆくてかゆくて・・・(苦笑)






そして最後に寄ったのが、桃で有名な一宮。
これまた息子が生まれる前、夫とよく訪れた小宮山農園さんに
久しぶりに行きました。
今はぶどう狩りの季節、ということで、
三人で一房ずつ巨峰を採らせてもらいました。
そのうちの一つを、その場でいただきました。
実がギッシリ沢山ついていて、一粒一粒がぴちぴちしてます!!
甘さと香りが絶妙です(≧▽≦)

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こんなふうにして、突然の家族旅行は楽しく楽しく幕を閉じたのでした\(^o^)/

夏の最後に思いがけずいただいたプレゼント。

貴重な思い出がまた一つ増えました。




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『親業』という視点~私と息子、そして私と父~

『親業』(トマス・ゴードン著 大和書房)という本があります。

<親業>とはつまり、子育てのことである。それをあえて親業としたのは、従来の子育てのなかでは、「子供がいかに育つか」と、子供のほうにばかり重点が置かれていたのに対し、本書では、「子供が育つ上で親がいかに関わるか」という親の側に焦点を当てて子育てを見直すところに、一つの大きな特徴があるからである。(「訳者まえがきより」)

幼少時は父親との関係に悩み、現在は成長した息子との新たな関係性を模索するまーさんですが、特に今は、息子との関わりについて悩むことが多く、何らかの指針が欲しいと思い、藁にも縋る思い(は大袈裟ですが・・笑)で、本書を手に取った次第です。

以下はfacebookその他に挙げた、本書の感想です。


**************************************

「誰でも親になれる。でも『よい親』になるのは難しい」全くその通りであって、世の親たちは子の年齢を問わず、彼らとの適切な関係性を常に模索し、試行錯誤を繰り返し、大小様々な悩みに日々翻弄されている。かくいう私もその一人であって、本書を手に取ったのも、そのような自らの「親子関係の行き詰まりの打開」あるいは「家族関係の再構築」を意図し、何らかの参考にしたいという思いからである。筆者は言う。「何百万という新しい父親や母親が生まれ、人間の仕事のなかでもいちばんむずかしい仕事につく――ほとんどなにも自分でできない小さな人間の肉体的、精神的健康に全責任を負い、生産的、協調的で、なにか貢献のできる社会人に育てあげるという親業に。これほど困難で、能力や努力を必要とする仕事がほかにあるだろうか。しかしそのための特別な訓練を受けた親が何人いるだろう」深く頷くしかない言葉である。そして従来の「親子間における勝ち負け指向性」に代わる第三の法として「勝負なし法」(親子が互いを人間として尊重しつつ問題点の落としどころを徹底的な対話によって決着する)を提案する。この方法の優れた点は、「実は親も完璧ではなく、子と同様さまざまな欲求を持った一人の人間であることを子ども自身に理解させられる」そして「権利と義務は表裏一体であり、人間はどのような場面においても対話によって豊かな協調関係を築いていかねばならないと、親子共々学ぶことができる」ことにあろう。本書は、我々が言葉を持つ唯一の動物としてどう生きるべきかを示唆する、非常に優れた本であると考える。『親業』と銘打ってはいるが、教育関係者、各種カウンセラー、何らかの指導者、そして大人に近づいた子ども自身にも読んでもらいたい本である。

**************************************


ここには書きませんでしたが、筆者は親から子への物事の伝え方として「わたしメッセージ」(私はあなたの言動によってこのように困っている、辛い、不公平感を持っている、だから改善したい)を使用するべきと述べています。世の親は、ともすると世間の常識や固定観念、自分の理想等によって子供をコントロールしようとし「あなたメッセージ」(あなたはこうするべきだ、あなたはだめだ、親の言うことを聞いていれば間違いない)を送り続けます。そこを改善し、親も感情を持った一人の人間として、子供に対し率直な「わたしメッセージ」を送りなさい、同時に子供の「わたしメッセージ」にもジャッジ抜きで耳を傾けなさい、そこから本当の対話が始まり、よりよい親子関係が築かれるというのです。

この「わたしメッセージ」という考え方、まーさんはとても気に入りました。
そして息子に対し、さっそく使ってみました。
結果は・・・非常に良かったと思います。

まーさんは、普段から家庭の中で問題となっている大小様々な問題について、「わたしメッセージ」を使い息子に伝えました。同時に息子のほうからも「わたしメッセージ」を使い、日常の不満を全て挙げてもらいました。
その上で、問題点一つ一つについて話し合い、時間はかかりましたがそれぞれについて、親子とも納得のいく解決法を導き出すことが出来ました。
特に驚いたのは、解決が非常に困難と思えた息子の問題について、彼自身がエゴに走らず全員の合意を得られる提案をしたこと、また息子にとって現在最も重荷になっている問題について、親子ともが本音をぶつけ合い、その結果当初は予想もしなかった結論(彼の人生を変えるような重大な決定)が導き出されたこと、です。

この「勝負なし法」による話し合いは、当然のことながら非常に時間がかかります。そのため、ワタクシ達家族も対話の途中かなり疲弊し、そのせいでけんか腰になるという場面も多々ありました。また難しい問題については一日で決着がつかず、翌日に持ち越しという事態もありました。
しかし、時間はかかりますが、今までにないすっきり感(親子で勝敗を争うのでない、全員の合意が得られる爽快感)が胸中を駆け抜けたのは確かです。

また一つ、読書という未知の世界への旅を通して新たな道が開かれた、そんな思いを持ったここ数日間の出来事でした。



ところで。
先週の金曜日。
まーさんは所用のついでに、我が父がひとりで暮らす実家に顔を出しました。
5月の連休に帰省して以来のことです。

冒頭にも書きましたが、まーさんは幼少時から父とはそりが合わず、ごく最近まで大変厳しい親子関係が続いておりました。特に母が亡くなってからは緩衝剤となる存在の欠落により、その関係はより厳しいものとなっておりました。しかし最近ようやく父のほうにも和解のムードが見られるようになり、先日はとても和やかで楽しいひと時を過ごしてまいりました。

このところ、ワタクシ一人で実家に戻ることはなかったのですが、久しぶりに一人父を訪ねてみると、誰に気兼ねするでもなく昔懐かしいリラックスした気持ちで、ビールを飲み父の作った漬物をつまみ、彼自慢の真空管アンプでショパンの「革命」を聴き、本当に近頃忘れていた自由な解放感を心ゆくまで味わうことが出来たのでした。
母の仏壇に手を合わせると、これまた本当に母と対峙しているような、不思議な安堵感で心が満たされました。

「母親」でもなく「妻」でもなく、一人の「子ども」として実家を訪れることの言うに言われぬ楽しさ。
ああ、自分は大人ではあるが一人の「子ども」、父と母の「子ども」でもあるのだなあ、と心にしみじみ感じました。

今後はちょくちょく、一人の「子ども」として実家を訪ねようと、密かに心に決めたまーさんなのでした・・・

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シソの葉の醤油漬け。父が毎年、裏庭で採れるシソの葉で作ります。
ものすごく美味しい!!お土産にもらって帰りました。
息子は大喜びで、ご飯を何杯もお代わりしておりました(笑)


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同じく実家の裏庭で採れたゴーヤ。こちらもたくさん採れたので、
ということでお土産にもらってきました。
翌日”ゴーヤチャンプルー”となって夕食の一品に。
みんな「美味しい!!」と言ってあっという間に完食。




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『火花』又吉直樹~芸人とは・人間とは~

又吉直樹氏の『火花』が累計発行部数200万部を超え、話題となっています。

まーさんは、本書が芥川賞を受賞した次の日、近所の本屋にて購入いたしました。

そして昨日の朝読み終わりましたので、こうして感想などをちょっと書いてみようかなと思った次第であります。



                 ◇



ひとことで申せば、非常に読みやすい本でした。文章は簡明で分かりやすく、テーマ・構成ともとても明確で、この辺りは芥川の作風とも、ある意味似ていると言えなくもありません。






本書は、若手芸人の「僕」(徳永)と、先輩芸人の神永との交流を中心に、芸人とは何か、生きるとは何かを追求した物語であります。

芸人とは・お笑いとはどうあるべきかを常に思考する主人公「僕」は、「生来の芸人」ともいえる、純粋でストイックな先輩・神永に強いシンパシーと憧れを抱きます。しかし、当然のことではありますが、僕が神永のようになりたくとも、別の人間である以上同じ生き方ができるはずもなく、また自身も売れるためには「芸人としてやりたいこと」と「観客が求めること」との中庸を探らねばならず、その様々なジレンマの中で、日々悶々としつつ葛藤を繰り返していきます。

結局、あまりにも特殊でデカダンな生き方を貫く先輩・神永は、芸人としても生活者としても破滅の方向に向かい、一方「僕」は、観客や業界に阿ることを潔しとしなかった結果、最後は漫才コンビを解散、相方とも離れ別の道を歩むこととなります。

本書は『火花』という題名とも関係していると思いますが、花火のシーンに始まり、花火のシーンで終わります。

主人公「僕」の漫才コンビ名は「スパークス」。そして敬愛する先輩・神永のコンビ名は「あほんだら」。

10年という限定期間を、漫才師として“スパーク(火花)”のように駆け抜けた「僕」。それとは対照的に、破滅してもなお、本物の“あほんだら”として芸人魂を貫く生き方しかできない神永。

二人の道は別々の方向に分かれましたが、最後は、彼らが出会うきっかけとなった花火のシーンと共に、新たな道が開かれる余韻を残して終わります。






本書において、まーさんが特に心惹かれた文章は、主に主人公「僕」が「芸人・お笑いとは何か」について一人思考を巡らせている、あるいは神永と議論を戦わせている部分であります。こうした文章が随所にちりばめられ、やはりそこにはお笑い芸人を本職とする又吉氏の、平生の思考や苦悩が、色濃く反映されているのではないかと感じました。

太宰治が大好きだという又吉氏。私小説作家として自身の破滅的な生き様を下敷きに多くの作品を残した太宰の作風に、この辺り似ているのではないかなあと(あるいは無意識のうちに似せているのではないかなあと)考えました。

“破滅的”ということで言えば、本書に登場するもう一人の主人公・神永は、まさに破滅・デカダンを地で行く人間であり、そんな先輩・神永に憧れを抱く主人公の「僕」は、やはりある意味作者・又吉氏を濃密に投影しているのではないかと、一人考えたりしました。



                 ◇



本書には、いわゆるお笑い芸人と言われる人々が、我々観客の想像をはるかに超え、いかにギリギリのところで勝負しているか、その「勝負師」としての不安・孤独・自負・快感が、非常にストレートな形で描かれています。

まーさんはその「知られざる芸人の世界」を垣間見た面白さ、そしてそれを越え「人間としてどれだけ自分に正直に向き合うか」を見せつけられた軽い衝撃(これは自らの過ぎ去った青春を懐古する感情とも無縁ではないように思います)に、不思議な清涼感を伴った、思わず微笑みたくなるような感情を覚えました。






お笑い芸人としてのピース又吉さんのことを、実はあまりよく存じ上げないまーさんなのですが、本書を読み、俄然興味が湧いてきました。
本職としての彼の漫才がどのようなものか、もっとよく知りたいという気持ちになりました。
ぜひ今後は、TV等でチェックしてみたいと思います。






また皆さま、当ブログを見て、もしご興味を持たれたようでしたら、ぜひ本書『火花』をお読みいただければと思います。
読後感は十人十色ですので、ワタクシとは違ったご感想など、聞かせていただければ幸いです^^

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夏の朝焼け・・・火花ではありませんが・・・(笑)




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「奈々子に」――そして芥川賞作家・又吉直樹さんのエピソード

昨日。
息子の塾のテキストを開くと
そこには
まーさんの敬愛する
吉野弘の詩がありました。

「奈々子に」という詩です。

若い頃、
この詩に強い衝撃を受けたこと
ふと思い出しました――




唐突だが
奈々子
お父さんは お前に
多くを期待しないだろう。
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり
知ってしまったから。





子どもの頃
まーさんは周囲の期待に応えるべく
無意識のうちに頑張りを重ね、
結果として
自分を、本当に駄目にしてしまいました――

そんな“潰れた自分”に改めて気づかせてくれたのが
この「奈々子に」
だったのでした。




今は当時と異なり、
子を持つ親として
この詩が切実に胸に突き刺さります。

まーさんは
自分の息子に多くを期待しない自分でいたい。
過度な期待で彼を駄目にしてしまうことは
何としても避けたい。
切実にそう思っています。

しかし果たしてそれは、
本当に成し遂げられているのでしょうか。
知らず知らずのうちにワタクシは
自分の不必要な期待を
彼に押し付けていないでしょうか。

子どもはいつだって
大好きな親の期待に応えようと
お父さんお母さんを笑顔にしようと
必死に生きている。
だから、
子に対する親の過剰な期待は
けなげな彼らを疲弊させ、苦しめる――




お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ。

ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。

自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう

自分があるとき
他人があり
世界がある。





そう、
ワタクシが息子にあげたいもの。
それは
≪自分を愛する心≫
それだけ――

なのに実際は、
自分の価値観に照らし
若干の期待を心の片隅に抱きつつ
それに見合わない彼の言動を
容赦なく頭から否定する
そんなことを繰り返しているのではなかろうか・・・




昨日
「奈々子に」を読み、
――この詩を読むときはいつものことですが
涙が、すっとこぼれました。




お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労がふえた。
苦労は
今は
お前にあげられない。

お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ。





≪自分を愛する心≫――
本当に、
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
と痛感します。

しかし人間にとって本当に必要なものは、
もうこの
≪自分を愛する心≫
これだけしかない、と
今も昔も強く思うのです。




話は飛躍しますが
先日16日、芥川賞・直木賞受賞の発表があり
お笑い芸人の又吉直樹さんが
処女作『火花』で
芥川賞を受賞されたことが報じられました。

昨日の読売新聞一面のコラムは、
朝刊・夕刊とも
この又吉さんに触れての内容でした。

夕刊「よみうり寸評」では
生まれつき肺の弱かった又吉さんが
小学生の時にサッカーを始め、
体力・技術とも
他の子にひどく劣っていたにもかかわらず、
毎日一人夜遅くまで練習し続けた結果、
何年か後、強豪チームの選手として
高校総体に出場した
というエピソードが紹介されていました。

芥川賞受賞作『火花』も
執筆はいつも仕事を終えた後だったそうで、
受賞後のインタビューでも、彼は
「芸人は100でやって、
それ以外の時間に書く姿勢を崩さないようにしたい」
と語ったそうです。

又吉さんにとって
サッカー・お笑い・執筆は、
きっとどれも
やむに已まれぬ自己の衝動から起こった活動であり
それについてのたゆまぬ努力は
彼にとって苦行ではなく
むしろ快楽や自己解放につながっている、
そんな印象を受けました。




しからば。
人間にとって「何かをなしとげる」「夢を持つ」行為、
例えば又吉さんのように
サッカー・お笑い・執筆に邁進する行為とは
一体何を意味するのでしょうか。

ここで先の
≪自分を愛する心≫の話に繋がって来るのですが、
自分を愛するためには
自分を大切に思い
自分の心に従って生き
自分を楽しませ
自分の喜びを大事にし
自分の全てを受け入れる――

そんなことが絶対不可欠でありましょう。

しかしながら世間一般において
「何かをなしとげる」「夢を持つ」
という言葉が使われる時、
そこには本来
夢の成就に付随しているはずの
≪自分を愛する心≫
例えば“純粋に自分を楽しませる”
といった感覚はあまり存在せず、むしろ
“苦しみを伴うような苦い”感覚が
背後に張り付いているように感じてしまうのは、
ワタクシだけでしょうか・・・?

つまり、又吉さんのように
何かやむに已まれぬ衝動に突き動かされて
必然の結果として努力をし続ける――
これは確かに
≪自分を愛する心≫
に深いところで通じるように思います。

が、よく大人が子どもに要求しがちな
「何かをなしとげなさい」「夢を持ちなさい」
というお定まりの題目には、
何というか
それとは違う苦行的なものが潜んでいるように
思われてならないのです。

この時大人が言う「夢の成就」とは
つまり「立身出世」的な意味も含んでいるのであって、
これを陰に陽に子ども達に刷り込み、期待をかけることは、
まさしく
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
自分を駄目にしてしまう

ことそのものではないかと、思うのです。




そしてこうした事例は、
何も子ども達に限ったことではありません。
我々大人もどうかすると
「夢を持たねば」「何かをなしとげねば」
という焦燥感を抱くことがあるのでは、
というのがワタクシの考えです。

それは当然のことながら、
幼少時からの刷り込み、つまり
「生まれたからには夢を成就させ、立身出世すべき」
といった暗黙の価値観が作用していると思います。

「大きな夢を持っていないこと」
「立身出世できていないこと」が
まるで自分の駄目さ加減の証拠でもあるかのように、
自己否定し続ける大人たち。

実はまーさんもこの考えの中に、
未だ片足を突っ込んでいる感は否めません。
情けないことですが・・・

結論から言えば、
「そんな≪自分を愛する心≫から程遠い感情は
一刻も早く捨て去るべき」
であり、
これからを生きる子どもたちにも
「≪自分を愛する心≫から乖離した夢など
もつ必要はない」
と強く言いたいです。

「夢」とは自分が楽しくなるためのツール。
それが人によっては
「サッカー選手になりたい!」
かもしれないし、あるいは
「美味しいスイーツを心ゆくまで食べ歩きたい!」
かもしれません。

後者は明らかに
「立身出世」の概念からはかけ離れていますが、
そんなことはどうでもよろしい!!

ようは自分の心に素直に向き合い、
やりたいことは何か。
自分はどう生きたいか。
そのためには何をどう行動したらよいか。

これをひたすら考え(あるいは思いついたらすぐ)
実行に移すことが肝要ではないかと
まーさんは思うのです。




こう書いてくると皆さま、
もうお気づきかと思いますが
まーさんは常に
「自分が何をしたいのか」
「自分には成し遂げたい夢があるのか」
と考えあぐね、
時として行き場のない
もやもやした焦燥感に駆られているのです・・・

本当に修行不足の自分を露呈するようで
お恥ずかしいかぎりですが・・・

ですからワタクシ、常に刹那を意識し、
何事にもとらわれず、
今一瞬の己の感情に従い行動することを
一つの行動指針にしているのでありますが、
やはりこう、何か物足りない。
まだ「やりきってる感」が無いと申しましょうか・・・

多分、作家の宇野千代さんのように
「思い立ったらもう体が動いちゃってるのよ~~」
って、後先考えず行動していたら
そんな焦燥感にさいなまれることも
無いのかもしれません。

やはり
「家族がいるから」とか
「先立つものが・・・」とか
「常識的に見て」とか
さまざまな呪縛によって真の解放には至っていない、
というのが本当のところかもしれません。




皆さまはいかがでしょうか・・・

人生は一度きり。
残りの人生、
どう生きてどう死ぬか――
まーさんにとってこれが
目下の最重要課題となっているのであります。


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もう駄目にゃん・・・暑いにゃん・・・
アタシの好きにさせてちょうだい・・・





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夏の食卓

季節を感じる食卓が好きです。

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家族が大好きなトウモロコシ・・・
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だし昆布と塩で――トウモロコシごはんになりました。







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茄子と大葉の煮びたし。甘辛く煮つけます。
よく冷やしていただきます。


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こちらは小松菜と厚揚げの煮びたし。薄めのだし汁でさっと煮ます。
小松菜は一年を通じて手に入る野菜。
夏の食材ではありませんが、この季節は冷やして食べます。
冬は温かいままいただきます。








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自家製ぬか漬け。夏はキュウリと茄子ですね。
余った野菜は何でも漬けてしまいます(笑)







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ワカメとキュウリの酢味噌和え
キュウリは塩もみせず生のまま。ぱりぱりした食感が楽しめます。








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先日友人からいただいたモロッコいんげん。
お義父さまが家庭菜園で作られたとのこと。
おすそ分けです。これはその日のうちに・・・

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豚肉とモロッコいんげんの肉じゃが風。
ダシダとゴマ油を使ってちょっと韓国チックな味付けです。
モロッコいんげん、甘くてとても美味!!
無農薬で育てているので手入れがとても大変、とのこと。
やっぱり手間ひまかけて作られた野菜は一味違います。







今日は夏らしい良い天気ですね(^^)/

しばらくはこんな風に、夏の食材を楽しんでみたいと思います――




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まーさん

Author:まーさん
息子と夫と私、考え方も行動もてんでバラバラな3人で暮らしています(笑)でも仲良しです。
音楽、映画、読書が好き。芸術鑑賞、外国語、旅行も好きです。ゆ~る・じゃぱんでは、日本大好きまーさんが暮らしのに漂う日本の香り・日本文化をゆる~く綴っていきます。

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